About the Author

元国立大学附属中高教員。心を育て、人と人をつなぐ教育プログラムを開発・実践。
2019年に渡米し、アメリカでNozomi Music Schoolを開校。
頭も体も心も、子どものもつ可能性を最大限に高めたい!!

子どもに対して腹を立て、気を荒立てて命令するように「怒る」ことをやめましょう。

理由を説明して、相手に意図を伝えるために「叱る」ことを心掛けましょう。

子育ての中で、こんな風潮がここしばらく続いているように感じます。あちこちで目にする、悪い意味で使われにくくなった「怒る」ことと、比較的いい意味で使われる「叱る」こと。

その違いや意味をもう一度考えながら、私が驚いたアメリカならではの子どもを叱る方法をお伝えします。

「怒る」と「叱る」はどう違う?

親が子どもに、「やめなさい、ダメでしょ。」と怒ることが当たり前だった一昔前。

それが一般的になると、やがて新しい言葉によるブームが起こるものです。


「怒ることは命令に近く、親の怒りをぶつけるに過ぎない。伝えることを目的に、叱ることをすべきだ。」

こういうことがどこかで呟かれると、このSNS時代、瞬く間にそれが一般家庭で広がることになります。

「こら!!」と怒ることは確かに良くない、説明しないと、と多くの人が思ったものでした。


これ、私は正直違いがよく分かりませんでした。

当時教員だった私は、すぐに辞書で調べたのですが、「怒る」の類似として「しかる」という文字があるし、

「しかる」は、相手の言動やあやまちなどを強い調子で責めることーとも書いてあります。

ん??

要は、言葉の違いは大した問題ではなく、どうやって子どもに理解してもらうのかが大事なのだなぁと。


子どもは未熟です。そして、私たちも皆未熟です。

だけど、社会経験の年数が多いだけ、知っていることも経験した数も多いのは確かです。

そんな私たちが、まだ経験の浅い子どもに対して、伝えてあげられることはたくさんあるでしょう。

子どもに伝えるために一番いい方法は何なのか?

子どもが小さいうちから、様々な家庭を見ながら、よく考えたものでした。

引き出しという引き出しから、全て出したい時期。早々に諦めることが、一番楽だと気付きました。

「怒」の種類が増える一方で、その対極の言葉は?

  • 腹が立つ
  • 頭にくる
  • しゃくにさわる
  • はらたつ
  • むかつく
  • イラつく
  • ウザい

「腹が立つ」は、本人にまだ冷静さを残した、自分自信に怒りの感情が湧いてくる様子を想像します。

そこから、どんどん外部に矢印が向き、怒りという感情がより短絡的になってきているような。


本のタイトルは忘れましたが、

『日本人は、「怒」の感情の種類が増えるばかりで、その逆は少ない』

という内容でした。


確かに、「嬉しい」「喜び」という言葉の派生を考えても、そこまでの数は思いつきません。


これ、授業でも毎年中学一年生に話していました。

こういう感情を持ったなら、相手にきちんと伝えるか、自分が変わるか、その対策をとるべきであり、

怒りをぶつけても何も生まれないということ。

不平不満を持ち続けて毎日を過ごすのでなく、自分の人生を自分の言葉と行動で作っていこうーと。


子どもが自分の思う好ましくない態度を取った時、どうやって相手に伝えるかは、とても大事です。

社会通念として良くないことなのか、自分の物差しで計って良くないと思うことなのかーの違いは重要です。

現に、お友達の親が子どもに注意している時に、常にうなづけたかと言うと、そうではないはずです。

逆も当然で、うちで正しいと思われることが、社会で同じ判断をされるかと言われると、そうではありません。

私がジムで一時間走ったシューズを口に入れる子ども。汚い?そもそも、子どもを連れて毎日ジムに行くことは良くないこと?

「やめなさい」は誰のルール?

子どもの年代によっても、善悪の基準は、当然変化していいきます。

人を噛む、たたく、おもちゃを横取りする、誰かの物を持って帰ろうとする、順番を抜かすーということは、

多くの人が経験することで、何度も繰り返しながら伝え、年齢と共に少しずつ理解していくものです。


少し大きくなった時の話です。

お友達同士で写真を撮る時、一人の女の子が、みんなの前に出て、大きくポーズを取りました。

その子の親は、「やめなさい。」と注意しましたが、私は、いいことなのになぁと思ったことがあります。

(もちろん周りを気遣って言ってくれている言葉なので、否定するつもりはありません。)


写真に大きく前に出て自分が一番に写りたいという感情、とても素敵だし、大切にしてあげたいと思いました。

少しずつ自分の想いが出てくる頃です。

写真に一番前ででっかく写ることも、写真に入りたくないことも、それぞれみんなバラバラでいいのになぁと。

「やめなさい。」は、その親の中のルールであることも多いということに、自分が気付くことが必要です。

アメリカで驚いた子育てルール

日本の公園やスーパー、公共施設で、よく子どもが泣き叫び、親が怒っている場面を見てきました。

私も、公共の場面で、間違ったことを正すことが、きちんと教育をしている証だと思っていた時もありました。

「子どもが悪いことをしたら、きちんと怒ることのできる私は、いい母親でしょ。」とでも言うように。


渡米してから、あることにふと気付き、とても驚きました。

公園やスーパーなどで、泣き叫んでいる(癇癪という意味で)子どもが、全くいないんです。

アメリカ人は、ずっと笑っている子どもと、穏やかな親しかいないのか?(そんな訳はない。)

と思うほど、怒鳴りつけている親を、一度も見たことがないのです。


よくよく観察していると、自分の思う通りにならなくて、子どもが泣きながら訴え始めた瞬間、

親は子どもをさっと抱き上げ、別の場所に移ったり、車に連れ戻ります。

性格の悪い私は、「親が子どもを怒るところを、人に見られたくないのかな。」と思いました。

ですが、友達に聞き、よく見てみることで、子どもファーストの事実が見えました。

「誰でも、怒られるところは見られたくないでしょ。別の場所に移動して、ゆっくり話すんだよ。」

と。


目から鱗の気分でした。

子どもも一人の立派な人間。

どんな理由があろうとも、自分が責められている(怒られている)場面は見られたくない。

きちんと落ち着いた場面で、本人の気持ちを聞き、親が思っていることを伝えるのです。

そして、社会通念としてよくないことをした場面でも(砂を投げたり)、「Please」とお願いしているのです。


日本人妻(夫はアメリカ人)が言っていました。

「だからアジア人って、野蛮だと思われているんだよね。」と。

なるほどなぁ、と妙に納得してしまいました。

「嫌なことは、直接本人に、そして短く。」「いいことは、周りの人にたくさん伝えて、本人に間接的に伝わるように。」

「教えてくれてありがとう」の気持ち

そこから、私も少しずつ、子どもたちに対する向き合い方を変えていくようにしています。

子どもがある程度大きくなった今は、

「こういう態度ならこう思われることがあるよ。私だったらこう感じる。」

と伝えています。

自分の価値観を押し付けすぎず、私はこう思う、こう感じた、こうしてくれたら嬉しいーと。


自分のミスを、子どもに指摘されたときにも、「教えてくれてありがとう」と伝えるようにしています。

そうすることで、逆の立場になった時、子どもも「教えてくれてありがとう」という言葉が出るようになりました。


相手を否定することは、伝える方も、決して気持ちのいいことではありません。

互いに気を悪くするのでは意味がなく、相手の想いながら、誠心誠意伝える。

「あー、ごめんね。」と言い合えること。

家族の中でも、とても大事なことだと思います。

いつも聖人君子ではいられない

そうは言っても、人間。

機嫌の悪い時もあれば、虫の居所が悪い時もあります。

普段は穏やかな夫が、ふとした瞬間にドカーン!とブチ切れることもあるし、

私もまだまだしょっちゅう、プンスカ怒り狂っている時もあります。

これはこれ。

相手の状況を見ながら行動することも時には必要だし、社会に出て、理不尽な怒りに触れることもあるでしょう。

そういう時は割り切って、これも社会勉強だー!くらいに思っている私がいます。


だけど、大事なことは、夫がドカーンとブチ切れた後、私が子どもをこっそりフォローしておくこと。

「こう言ってほしかった、なんであんな言い方するん!」

と泣いたり怒ったりする子どもたちに、

「今ちょっと気分が良くなかったんだろうね。でもきっとお父さんも分かってるよ。明日になれば大丈夫。」と。


そして同じように、夫も、私がブチ切れすぎている頃、真剣に

「そういう言い方を繰り返していると、子どもがダメになる。」と話してくれたこともあったし、

私に怒られて、しゅんとしている子どもたちを、必死で笑かしてくれたことも何度もありました。

特定駐車場のバーを、全部外していく子ども。やりたいだけやらせて、あとで戻せばオッケー。

「叱る」目的を明確に

タイトルには、分かりやすく「叱る方法」としましたが、言葉は何だっていいと思います。

「怒る」でも「叱る」でも、とにかく、目的は、相手に理解してもらうということ。

「こういうところが良くないと思った、これはダメなこと。それはこうしたらどうだろう。」と。

どんな場面でも、相手が納得できるように、自分の想いを正しく伝える。

それは、時期や場所、その時の互いの関係性によっても大きく違うので、魔法の言葉なんてものはない。


家族は互いに完璧じゃない。

私がよく言う言葉に、「家族は助け合い」ということ。

しんどい時は支え合えばいいし、つらい時は励まし合えばいい。

喜びを家族みんなで共有することは簡単だけれど、そうじゃない時こそ、家族の本当の姿が見えると思います。


いつまでも未熟な私たち。

最近は、行動を子どもに指摘されることも出てきました。

だけど、「教えてくれてありがとう。」の気持ちは、忘れないでいたいです。

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