About the Author

元国立大学附属中高教員。心を育て、人と人をつなぐ教育プログラムを開発・実践。
2019年に渡米し、アメリカでNozomi Music Schoolを開校。
頭も体も心も、子どものもつ可能性を最大限に高めたい!!

きっと、誰でも一度は通る道?

出なくちゃいけない時間が迫っているのに、子どもがお着替えしてくれない!それ以前に、着てくれない!

洋服の選択肢を与える、褒める、最後は力技?ーなど、色々な方法を試しているおうちも多いかと思います。

そんな皆さんに、うちが実際にやっていた方法と、少し肩の力が抜ける「アメリカの不思議な日常」を二つ紹介します!

365日?同じ服

共働きフルタイム夫婦だった我が家。

ありがたいことに、双子の息子に続いて、その育児休業中に、二歳差の娘を授かりました。

育休を経てフルタイムに戻るため、双子は幼稚園を一年通園した後、全員で保育園に転園することに。

しかし、幼稚園のために揃えたグッズを、たった一年で使わなくなるのはもったいない。。。


まもなく始まる怒涛の朝時間。

そこで目についた、双子それぞれ2セットあった、幼稚園指定の体操服。

「動きやすい、運動に適している、お着替えを選ぶ時間さえ惜しい」

という魅力に惹かれ、旧幼稚園の体操服を、新保育園での(ウチだけの)制服にしたんです。

毎日これに着替えるんだよーと教え、ルーティンとしてしばらく伝え続けました。

気付けば、平日はもちろん、発表会などの行事や遠足の時も、ひたすら(別の園の)体操服で過ごす息子たち。

結果、365日どころか、三年間毎日、もちろん冬の間も、毎日半袖の体操服でした。

(昭和初期の話ではなく、平成最後の話です。)


なかなかこういうパターンをそのままは当てはめにくいでしょうが、

幼稚園/保育園は、お気に入りのこのパターン!お休みの日は、特別にお洋服を選べる!

などと決めることで、少しでも楽になれることがあるかもしれません。

普段はもちろん、イベントの時も、二人だけ年中体操服。(しかも別の園のもの。)

大成功の体操服大作戦と、その弊害の卒園式

ただ、ひとつ正直に記さなければいけません。

うまくいったはずの大作戦でしたが、最後の最後に、大騒ぎの朝を迎えることになります。

「保育園は体操服」

ということが強く双子の頭にインプットされた最後の卒園式の朝。

(そう仕向けたのは紛れもなく私です。)


「絶対に体操服で行く!」

といって、泣いて主張する子ども達。。。

卒園式くらい、普通の(ちょっといい)服を着てほしかった私との、熾烈な攻防が繰り広げられました。

まだ若かった私。しかも、保護者代表で着物を着て園長先生にご挨拶をする役目を頂いていました。

親が着物で挨拶するのに、子どもが体操服はないだろう。

と考え、結果、子たちは渋々卒園式用の服を着てくれました。

ただこれ、今になって考えると、卒園式こそ、体操服のほうが面白かったなぁと若干の後悔もあります。(笑)


さぁ、この突飛に思える方法ですが、こんなにも魅力的な効果がありました。

着替えてくれない問題が解決する。

「幼稚園に行く=体操服を着る」パターンを作ることで、朝のぎゃーぎゃータイムが減り、心の平穏を保てます。

ごはんを食べて歯を磨くのと同じように、「同じ服を着る」というパターン化は、子どもにとって容易で取り入れやすかったのだと思います。

服を選ぶ時間も、買う手間も減る。

これは、フルタイムで働く私たちの生活の中では、とても大きなことでした。

何でもいいから、とにかく早く保育園に出発してくれ!

と常々思っている環境では、かわいい!な服で登園することより、スムーズに登園してくれることが、はるかに重要でした。

と同時に、そもそも服を買う時間でさえ惜しかったので、時間だけでなく、お金も節約してくれました。

今ではアウト?な、商業施設の噴水で、うちだけなぜか裸。

どれだけ汚しても破っても問題なし。

「たくさん遊んだんだ!えらいね!」と、心から笑顔で言えます。

これ、育児の中で、とても重要だと考えています。


数年後、小学校の書道だか図画工作だかの授業を受けて帰ってきた子どもが、驚いて言ってきたことがあります。

「OOって、服汚したら怒られるねんて!」

「□□の家もやで!」

と双子が言い合っているのです。


双子にとって、まさかうちで褒められることが、他の家では怒られるという衝撃的な出来事のようでした。

私は、子どもは汚してナンボだと思っているし、それよりも思いきり瞬間瞬間を楽しむほうが、ずっと大切だと思っています。

「自分は自分」スタイルが身に付く。

周りでは、きれいに髪の毛を結ってもらい、毎日はやりのデザインやキャラクターのかわいらしい服を着ているお友達。

だけど、うちはうち、私は私。

服。つまり人から見られる外見に、どこまで意識を向け、時間を掛けるか。

日本人によくある、「かわいい!どこで買ったの?」文化には、少し疑問を感じている私にとって、「自分スタイル」に自信をもてるようになります。 

アメリカで日常的に設定される「PJD」

パジャマのまま学校に行く娘。お友達は、人形やバスローブ、ルームシューズやアイマスクまで。

さぁ、もう一つ、これもぜひ知ってほしいこと。

アメリカに移住してから、新たに感じることとなった洋服にまつわる話です。


英語が拙い中、毎週届く学校からのメールを必死に読む私に、予定表の中で見つけた「PJD」という単語。

お友達に聞くと、

「パジャマよパジャマ!先生もみんなパジャマで登校するの!」

と教えてくれました。(これが噂のパジャマデイ!!)


興味半分で迎えた当日。(子どもは、普段着で登校しました。この頃はもう体操服ではありません。)

ほんとだ!先生も子ども達も、年齢も関係なく、パジャマ姿の人がいーっぱい!

おそらく、皆さんの想像するような美しいパジャマではありません。

全身着ぐるみやガウン、もこもこスリッパ、アイマスク、映画で見たことのある三角帽子、腕には一緒に寝ているぬいぐるみまで。

裾は地面にズーズー擦りながら歩いているし、この光景はちょっとびっくり。


他にも、毎週金曜の「School Spirits Day」(スクールスピリッツデイ)では、学校のTシャツを着ます。

また、毎月のように「映画の日」「キャラクターの日」などがあり、中でも面白いのは、

「変な恰好をする日」

この日は、靴下を左右違うものを履いたり、ズボンを上に着たり、ヘンテコであることが褒められる日なんです。

数年が経ち、気づけば、日常にお洋服で遊びを取り入れ、楽しんでいる文化になじんでいる自分がいます。

そう。何が言いたいって、別に何を着てもいいんです!

キャラクターの日。ユニコーンや戦闘隊や動物やお姫様。先生ももれなく全身着ぐるみで授業。

他人の目線より、その子がどうありたいか

大きくなってくると、時にTPOは大事です。だけれど、まだ小さいうちは、別にパジャマのままでも何の問題もありません。

パジャマでお出掛けすることに対して、「恥ずかしい、誰かに何か思われるかな。」なんて思う必要はないんです。

もし私が、日本でパジャマ姿の子どもを連れている親子を見かけたら、間違いなく

「それいいね!素敵!」

と声を掛けるでしょう。

「今日は何も着たくない!」も、もちろんあり。

外に出て、寒かったり、コケて痛ければ、自分から服を着たくなるかも?

日本でも、周りとちょっぴり違う子に対して、明るく前向きな声掛けをしあう環境を、私たちで作りましょう。

靴が履きたくなかったら?履かずに出て、どうなるか試してみるのもありです。

事実、アメリカの公園では、はだしで遊んでる子どももそう珍しくありません。


みんな同じような流行りの服を着ることに意識を向けるか、「わが子スタイル」を知り、認めてあげるか。

これは、子どもの心の成長(と親の心の余裕)に大きく違いが出てくると思います。

こうあらなければいけないーという親側の意識を取り除いてみてください。

毎朝、「それじゃなくてこれにしよう」「それはダメ」と言われ続ける子どもと、

「それいいね!」とまるごと認められる環境、どちらを選びますか。


想像してみてください。

あなたがいいと思う服を、誰かに無理やり脱がされて、別の全く好きでないものに着替えさせられる苦痛。


子どもの、「この服がいい!これでお出かけしたい!この恰好のままでいたい!」は、わがままなんかじゃありません。

立派なその子らしさであり、周りの目なんてもちろん気にしていない、その子自身のカラーであり魅力なんです。


大丈夫!そのままでいいんだよ!他の誰のためでもなく、自分のためのお洋服なんだから。

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