子どもの様々な能力を伸ばしたいと思うことは、どの親にも共通する願い。まずは、根っこである、自分には、生きている価値があると思えること。毎日が、幸せだと感じられること。そして、明日が来ること、大人になることが、楽しみだと思えることは、何より大切なことです。家庭でできる、我が家流自己肯定感の育み方をお伝えします。
教員時代、何よりも大切にしていた、「安心安全の場」
附属では、中学1年から、高校2年まで、5年間の成長を見続けていました。
授業がうまくいくかどうか、伝えたいことが伝えられるかどうかは、初めの一カ月が勝負でした。
「初めまして」と挨拶をして、まだ名前も全く覚えていない中、(毎年500人ほどの生徒を教えていました。)
音楽室に来ることを、楽しみに感じられるかどうか。
この期間の勝負が、その後の5年間を決めると言っても過言ではありません。
笑顔で受け入れ、生徒を認め、発言を受け止め、ありのままを出せる場所として理解してもらうのです。
中学1年生の彼らの中には、当然のように、人前で表現することを怖がり、表情が硬い生徒もいました。
それが、少しずつ、感情を伴った表情へ変わり、頑張ることが楽しいと感じられるように変化していくのです。
入学当初にも関わらず、私が質問した時、挙手して答えてくれる生徒が、何人かいます。
その答えが間違っている時、周りの生徒が、馬鹿にしたり、茶化したりすることがありました。
その時、私は、毅然と「そもそも、発言をしたことが素晴らしい。」ことを伝えます。
それを繰り返すことで、少しずつ、間違えても大丈夫、発言したいという雰囲気が出てくるのです。
授業中、いつもと違う雰囲気や、表情が冴えない生徒を見つけた時には、必ず声を掛けていました。
「どうしたの?」「大丈夫?」と。
泣いてしまう生徒がいたこともあります。
そんな時は、廊下に出して、何も言わず背中をさすったこともあったし、保健室へ送ったこともありました。
大事なことは、その子の存在を認め、愛情を伝え続けることです。
恐らく、(かなり)厳しい内容だったかと思いますが、5年後には、素晴らしい成長を遂げてくれました。

中学1年生に、「ここから世界を変える」と伝えた教室。卒業した生徒たちが、色々な場所で、活躍してくれていることが、本当に誇り。
自己肯定感の塊の娘
私の娘は、毎日幸せそうで、何事に対しても自信たっぷり、そして恐ろしく自己肯定感が高いです。
「たぶん算数がクラスで一番やと思うねん。」(全くそんなことはない。)
「のっちゃんでよかったやろ?」(それは確かに。)
「のっちゃんめっちゃ声きれいやし、歌うまいやろ?」(まぁそうだね。)
「世界で一番かわいいね。」と伝えても、「そやろ?」と一言。
どこがどうしてこうなったのか?
私が大切にしている子育てと、アメリカの教育が相まって、この娘ができたように思うのです。
私がやってきたことは、愛情を伝え続け、存在を認め、信頼関係を結ぶこと。
アメリカの教育は、一切否定せず、全てを肯定し続けること。
初めは、違和感を感じまくったアメリカ教育ですが、実際に育っていく子どもたちを見ていると、納得できます。
どんな点数をとっても、何をしても、どんなことが起こっても、褒めて、認められる。
誰かと比べるのではなく、その人自身の努力や結果を見て判断してくれること、もう、徹底的な肯定教育です。
渡米してしばらくは、子どもたちは、学校の成績も、ほぼ最低点数の連続でした。(そりゃそうだ。)
だけど、先生からは、「本当に素晴らしい!よく頑張っている!クラスにいてくれて良かったわ!」と言われるのです。
日本人的に、どうやったら早くコミュニケーションでき、クラスになじみ、成績が上がるのかを聞きたかったのですが、そんなことは、重要ではないようでした。
掲示物で育てる自己肯定感

家の中の防火扉を利用した我が家の掲示場所。家のど真ん中にあるので、毎日みんなが通ります。
写真をよく見てください。
これが、我が家でやっていた、掲示物で自己肯定感を育てる全てです。
あまりにも当たり前にやっていたので、思い出として記念に収めた、引っ越す直前の一枚です。
上の双子が、小学生になったころから、様々な形ではじめ、定期的に張り替えていました。
ここまでは、うなづいてくれる方も多いかもしれません。
大切なことは、ここからです。
目に見えて達成感が得られるように、賞状や作品がなければ、自分で作るのです。
クラスで、順番に当てられる役割や、全員に役割が当てられるような内容でさえ、ポップにします。
「遠足で、企画部長になった!」のだって、もしかしたら、「班長、副班長」から続き、
「点呼係、時計係」など、全員に当てられる役割の中のひとつかもしれません。
それでも、「へぇ!」の一言で終わるか、形として残り、目で何度も見て、誇らしく感じるかは、大きく違うと思うのです。
新たに、何かの役割を与えてもらって、「あそこに書く?」と嬉しそうに聞いてくることもよくありました。
そして、親に喜んでほしく、役割をもらうことに喜びを感じ、積極的に取りに行くようになるのです。
学童の遠足リーダーだって、3年になると全員がリーダーでしたが、当然大きく喜び合いました。
100点へのこだわり

娘の勉強机の壁一面のテストや漢字一覧。横へは広がり切ったので、次は天井方向か。
「何点でもオッケー、気にしない、大丈夫大丈夫!」と自己肯定感の塊だった娘。
勉強がそこまで得意でない娘を何とか前向きにするために始めたのも、テストの掲示でした。
大きなテストや成績表では、そこまでの結果は出ないので、小テストでまずは勝負することにしたのです。
現地校の単語テストでは、10個の単語が週に一度テストされます。
出るものが決まっているので、毎日数分ずつ頑張れば、100点を取ることもできました。
日本人学校でも、毎週の10問の漢字テストだと、100点を取れることがあります。
それでも、毎回という訳ではないので、増えていくペースもゆるやかです。
このため、数年経っても、張り替えることはなく、溜まっていくばかりという作戦にしました。
「また100点?困ったなぁ。もう張る場所がなくなってきたなぁ。」と言いながら、壁一面に増やしていくのです。
数年分の100点ですが、いつ取ったかなんて、娘には関係ありません。
やがて娘は、100点を目指すようになり、100点へのこだわりを少しずつ持ち始めました。
やがて、単元テストでも100点を取り始め、いい点数を取りたいと、上を目指すようになったのです。
「何でもオッケー!」だった娘に、掲示を始めたことで、「もっと上を!」と目線がひとつ上がったのは、大きな収穫でした。
中学生になったことを機に、息子たちに、「100点飾ってほしい?」と聞くと、「別に。」という答えが返ってきました。
だまって張り続けるのもアリかと思ったけれど、まぁそういう歳だと理解し、その役割を終えました。
その代わり、アメリカでは、成績表は、プリント一枚なので、それを飾るようにしています。
オールAのものだけ張るようにすると、普段の小テストでも、「あぁー!あと〇点あったら!」とくやしがっているので、効果はあるようです。

ギフテッドの認定証や、現地校、日本人学校のオールAのみの成績表。
毎日の挨拶に加えて
子育て中に、「私の子育ては成功したんだ!」と感じた瞬間がありました。
ある晩、お布団の中で、中学2年生の息子が言った、この一言です。
「あぁー、明日が待ちきれないわ。」と。
確か、大好きなバスケが始まるか、練習があるか、そんな日の前日だったと思います。
小さいころのように、感情を全開にする年齢は、とっくに過ぎています。
そんな思春期の中にあるにも関わらず、ふとつぶやいた言葉が、とても嬉しく、心に沁みたものでした。
私がずっと子育ての目標にしている、生きている価値があると思えること、明日が来ることや、大人になることが楽しみだと思えること。
これを願って、毎日続けている挨拶があります。
「おはよう、お休み、いただきます、ごちそうさま、いってらっしゃい、お帰りなさい」
これらに加えて、こんな言葉も。
小さい頃は、おまじないのように、この言葉を繰り返していました。
「お母さんは〇〇が大好き、〇〇はお母さんの宝物、〇〇がいるからお母さん幸せよ。」と。
やがて成長してくると、大事な部分を聞くようにしました。
「お母さんは〇〇が?、〇〇はお母さんの?、〇〇がいるからお母さん?」というように。
子どもは、自分が愛され、認められ、存在価値を感じられるように成長してくれていると思います。
大きくなって、ふと思い出した娘が、こんなこと言ってたやんな?と嬉しそうに思い出していました。
親からもらった笑顔や言葉、抱きしめられた記憶の全ては残らなくても、心を潤わせ、生きる力になります。
小さいうちに、たくさんの愛情と言葉とぬくもりを与え続けること。
本当に大切なものが心に蓄えられている子どもは、どんな時でも、一歩ずつ前に進んでいけると信じています。