「偏差値だけではない。」もちろん、その通り。そして、頭を賢くすることも、同じように大切です。我が家でやってきた、勉強習慣の始め方、続ける方法、そして、宿題の取り組み方、楽しみ方などをお伝えします。
勉強スタート!
双子が三歳のお誕生日の日、勉強習慣が始まりました。
「三歳になったら始めるよ!」と、あらかじめ予告しておいて、わくわくを高めます。
毎朝、起きたらすぐに、ほんの少し机に向かう習慣を付けるのです。
それこそ、5分もやれば花丸!
線をなぞったり、ぐるぐる書いたり、やがて平仮名やカタカナ、そして数字に親しみます。
生まれたばかりの娘もいたので、教材を選んだり準備したりは、一切なし。
紙と鉛筆だけ準備して、あとは、私が自由にあれこれ、その日の思い付きで1分で教材を作ります。
なんせ、自分にとっても初めての試み。
準備に時間が掛かったり、手間がかかっては、継続ができません。
テストでいい点数を取るためのものではなく、机に向かう習慣を付けるのが目的なので、何でもあり。
私が勉強の流れで大切にしていたのは、毎日「読み書き計算」の寺子屋方式と、「暗記」の4つ。
小さい頃は、これらの基礎を固めることが大切だと思っています。
日本の教育を受ける上で、机上の勉強は、楽しんだもの勝ち。
主に、本は寝る前に読んでいたので、朝は、「書き」と「暗記」がメイン。
それに、余裕が出てきたと感じた時に、「計算」の流れも加えていきました。
(暗記については、別記事をどうぞ。)
一緒に座って、最後まで見守る
習慣にするために、大事なことがあります。
それは、大人が一緒に座り、一緒に勉強に向かうこと。
どれくらいの時間が必要かは、その子にもよるけれど、うちの場合、息子は小学校に入る頃まで。
そして、娘は、10歳になったころから、少しずつ離れられるようになってきました。
私にとっては、10年ほど、ずっと毎朝子どもと勉強を続けたことになります。
3歳で始めたころは、鉛筆を持ったり、紙をおさえたり、消しゴムで消したり、もちろんずっと付きっ切り。
少しずつ子どもが自分でできるようになってきたら、褒めて、勇気づけて、最後は大きな花丸を付ける係。
「すごい!できたね!さすが!わー!やったやった!」と、頑張っているその瞬間を、認めていきます。
さらに自立してきて、学校の宿題やらをやる頃になっても、子どもによっては、そばで見てくれる人がいることで、頑張れる子どももいます。
娘が、まさにそのタイプだったので、私は、ずっと横に座って、娘の一挙手一投足に気を配っていました。
分からない問題があった時、親を呼んで、来てくれるのを待っていたり、親のところに行って、仕事の手を止めさせて質問するような面倒なことがあると、一気に気持ちが落ちます。
根気よく、子どもがやっている手を見ながら、横で見守っていくのみ。
やがて、時期がくると、座っているだけでよくなったり、短時間なら席を外せるようになり、そのうち、一人で勉強できるようになっていくものです。
確かに大変に感じるかもしれないけれど、このわずかな時間で、その後の習慣が付くと思えば、お安いものかも。
10年使った手作り時計
勉強の習慣もついてきた頃、少しずつ時計を読む練習を始める頃となりました。
いつも通り、私の「大きな時計を作って!」というアイデアを、夫が叶えてくれるという我が家の流れ。
裏には、子どもたちの好きなようにお絵描きしてもらって、我が家の時計の完成。
「勉強ボックス」に時計を追加して、毎日1分ほど、時計を学びます。
毎日、短針を動かしながら、「1時、2時」と唱え、長針を動かしながら、「1分、2分」とつぶやきました。
やがて、少しずつ時計を読めるようになってくるのです。
双子が使い終わると、娘が譲り受け、少しずつぼろぼろになってきました。
そろそろ役目も終わりかなぁと思ったころ、算数で、「全部で何分かかった?」という単元がやってきました。
結局、同じように、双子と娘の順で使い続け、10年の命を全うしてくれました。
毎日の勉強ではもちろん、時には実家や旅行にも持って行った、我が家の時を刻んでくれた思い出の時計です。
「音読、計算」の宿題への工夫
小学校に入ると、もれなく宿題のチェックが入ります。
この頃、息子の友達のお母さんから相談されたことがあります。
「宿題をやっていないのに、やっていると嘘をつく。見逃していいものか。」と。
これも、子どもにどうあってほしいのか、宿題への取り組み姿勢など、今後を決める大事な時期です。
私は、学校から帰ったら、(もしくは仕事から帰ったら)まず宿題をさせていました。
音読であろうと、計算であろうと、必ず私の前ですることが条件。
「正しい読み方、計算が合っていることが目的」だからと、初めに伝えました。
そして、国語は、一言感想を書くようにしました。
「すごいね!」「疲れている中頑張りました。」「おじいさんの話し方が上手!」などなど。
これは、中学生になっても続けていました。
先生は読んでないかもしれないけれど、子どものやる気が少しでも出ればーとの思いからです。
計算は、毎回時間を図り、裏に表を貼り、グラフにしていました。
やる気がない時は、5分ほど掛かったり、ノリノリの時には、最高記録を狙ったり。
先生のためでなく、子どもに、工夫する方法を見せたり、気持ちが上がる方法を試そうとした結果です。
掛け算を暗記して早く答えたら、やり直し?
計算のスピードが大切かのような内容を書いたその次に、こんな話もあります。
娘が小学校2年生の頃、大きな衝撃を受けたことがありました。
アメリカの小学校で、「2人が3つずつ持ってる。全部で何個?」の問題に、娘がこう答えました。
2×3=6 これに、「Show to your work」と先生のコメント。
これがしばらく続いたある日、先生から、面談しようと言われました。
「覚えた計算を書くのではなく、どうして6になったかを、絵や図で示してほしい。」と。
衝撃でした。
日本では、早く正確に計算することが求められ、アメリカでは、どうしてそうなったかが大切なのです。
なぜ、どうして、そうなるかの過程を、自分の言葉で説明することを求められることが、なるほどなぁと面白い違いでした。
じゃあ、日本で求められる、計算の速さは、必要ないのかと言うと、そういう訳ではありません。
クラスの中で、日本人含むアジア人は、基本的に計算が早く、その中でもインド人のレベルの高さは目を見張るものがあります。
現に、アメリカの有名私立大学では、人種ごとに合格点が異なり、アジア人は、一般的に白人より高得点を取らなければいけません。
日本人は日本人の強さを持ちながら、様々なジャンルでの勉強が必要なのだろうと思います。
ペーパーテストを得意とする日本人と、日常のDIYやらに数学をうまく取り入れて理解するアメリカ人の違いが、ここにあるのかもしれません。
やがて、子どもたちは、日本人学校と現地校を、うまく使い分けていくことになります。
アジア人=賢い?
子どもたちは、渡米してからずっと、現地校(アメリカの学校)と日本人補習校の二つに通っています。
日本人補習校は、毎週土曜のみ開かれ、国語と算数の二教科を学び、多くの宿題を抱えます。
これも、毎日の勉強習慣があったおかげで、そこまでの負担なく、継続することができています。
今では中学生ですが、起床後、登校前に30分ほど毎日机に向かう習慣は続いています。
現地校では、白人を中心に、様々な人種の生徒がいます。
友達が、勉強を教えてと言ってきたり、テストで盗み見されることもあるようですが、理由を聞くと、「アジア人は賢いからな。」と言われるようです。
二つの学校に通っているのは、永住組の日本人にとっても、よくある話ですが、
現地の友達からは、現地校の勉強や宿題に加えて、日本人学校にも通っていることで驚かれます。
日本人と言えば、賢く、Hard worker(努力家)が多いという印象はあるようです。
夫婦の分担
私は、主に子どもたちの基礎的な学びの姿勢をサポートしたり、宿題の管理や、日々の勉強を見ています。
一方で、夫は、クリエイティブな面をサポートし、楽しませるためにあれこれ工夫してくれます。
低学年の頃は、近所のお友達も集めて、ロボット教室のようなことをしたこともあるし、遊びの中で、ピタゴラスイッチのような迷路を作ったこともありました。
生活の中で、クリスマスライトが壊れると、ライトの仕組みを子どもたちに説明しながら、修理します。
子どもたちが、Nスケールにはまっている時には、3Dプリンターで、町を作ってアレンジしました。
折り紙にはまると、色々なピースから、様々な多角形を作る方法を教えていました。
それこそ、まだ文字が書けないような時には、巨大迷路を作ってくれたこともあります。
クワガタを育てたり、セミが羽化する瞬間を観察したりと、夫の体験授業は、いつも子どもたちをワクワクさせています。
毎日コツコツ取り組むことが得意な私と、あれこれクリエイティブに思いつく夫では、案外いいコンビかもしれません。
子どもが一つできるようになれば、そのちょっと高い壁を設定していく。
それを乗り越える楽しさを知れば、少しずつ自発的に勉強するようになっていくものです。
中学生になった息子たちは、そろそろ私が教えられる限界に来ていて、まもなく卒業を迎えそうです。