今や、世の中には、様々なおもちゃが溢れかえっています。
知育系のおもちゃも、海外有名メーカーのものも、簡単に手に入れることができるでしょう。
どのおもちゃが、子どもの力を伸ばしてくれるのでしょうか。
いや、そもそも、子どもを能力を高めるおもちゃって、何だろう?
市販の物も楽しみながら、少し視点を変えて、新たなおもちゃについて考えてみませんか。
おもちゃ=買うもの?
うちは、おもちゃ屋さんに行ったことも、おもちゃを買い与えたこともありません。
いただいたおもちゃで遊んでいたことはもちろんありますが、
「遊びを生み出す力」
を育てることを大事にしていました。
用意するものは、段ボールなどの紙、はさみ、テープ。
他にも、毛糸や手芸用品、包装紙、ゴムなど、何でもいいんです。
要は、家に転がっている、あんなものやこんなもの。あとは、年齢に応じて、好きに遊ぶだけ。

夫作。あちこちから段ボールを遊んで、ひたすら遊んでいました。奥のおもちゃは、全て貰い物。
紙でさえ、子どもにとっては、魔法のおもちゃ
小さいうちは、紙でさえ、一緒にちぎるだけで、とても面白く、魅力的な素材です。
新聞紙を縦方向と横方向でちぎると、全く違う結果が生まれます。
紙を輪っかにしてみたり、細長いものをたくさん作って長くつなげてみるのも楽しい。
紙吹雪は間違いなく喜ぶだろうし、水とまぜたりしてみても面白そう。紙の洋服をデザインしてはいかが?
大人の大切なものは、当然子どもも大好きなので、携帯や鞄も好きに作ってみることもできるでしょう。
保育園にあるような、美しい手芸で作られたおままごとは少しハードルが高いなら、絵を描いて、OOごっこを楽しんでもいい。
大きくなってくれば、段ボールで家を作ったり、車にしてみたり。
我が家の息子も、小学生の頃は、飛行場や船、ピタゴラスイッチをよく作っていました。
節分のお面は、福豆についてくるお面を使っていますか?
うちのお面は、毎年段ボールで作ったものでした。
ある年は、子どもが作るかわいい鬼さんだったり、ある年は、お父さんが作る、子どもが泣き叫ぶような本格的なものだったり、その変化がまた楽しいものです。
お月見には三宝を作り、手作りの団子をそれらしく載せたものです。

長らくお父さん担当だったお面作りが、やがて子どもが主体になり、そして卒業していく、家族の歴史。
紙飛行機のはずが、世界一飛ぶ飛行機に
忘れもしない、子どもが2,3歳のころ。
「飛行機作ってあげて。」
と夫にお願いしました。
10分もあれば、新聞紙で大きいのから小さいの、色を塗ったり、ちょっと工夫してたくさん作ってくれるだろうと思っていたのに、一向に完成しないのです。
そして数日後、夫は自信満々に、「世界一飛ぶ飛行機」を設計し、部品を集め、完璧なものを作り上げて見せてくれたのです。
「・・・。」
あまりに求めていたものとの違いに、言葉もありません。
ですが、今思うと、こういったこだわりこそ、後々の成長にいい影響を与えているようにも思います。
今では、何を作るにもやるにも、徹底的に調べ上げ、時間を掛けて試行錯誤する力が確かに身に付いています。
幼少期から、「OO作って。」と言われると、夫は「設計図書いて。」と返事するのがお決まりでした。
市販品とのバランスもうまく取り入れて
市販品の中にも、もちろん良品もたくさんあります。
積み木やレゴは、存分に遊んでほしかったのですが、なぜかうちの子どもにはヒットしませんでした。
いいおもちゃが、必ずしもすべての子どもの興味を引き付けるわけでもないし、市販のおもちゃの中にも、もちろん成長に手助けになるものもたくさんあるでしょう。
買ったおもちゃより、身の回りの物で遊ぶのが好きーなのは、よく聞く話です。
結局、音が出たり動いたりするおもちゃは、子どもの心を瞬時に捕まえることはできても、結果、長く親しむのは、子どもがやりたいように形を変えることができ、時にはすぐに壊れてしまったり、変化するものであることも多いです。

段ボール一個あれば、無限に遊べるのが、子どもの力。そこらのおもちゃより優秀かも?
与える順番を意識して
意識しなければならないことは、順番とバランス。
おもちゃを与え続けた後、突然段ボール大作戦に出ても、望む結果は得にくいかもしれません。
大人でも同じこと。
今まで目新しい魅力あるあれこれに慣れていたのに、いきなり材料を並べられて組み立てろと言われても難しい。
その面白さに気付く前に、面倒さが勝ってしまいます。
小さいうちから、身の回りにあるもので自分で遊ぶ力を引き出すことが重要だと思います。
ステイホームに暇はない
アメリカに来て間もなく、学校がなくなり、コロナによる一年半のステイホームが命じられました。
(後に、短時間のオンラインスクールに移行されました。)
友達もいない、母の仕事もない、頼れる知り合いもいない。
ーそんな中、毎日をどう過ごそうかと頭をひねりましたが、取りこし苦労でした。
今までの段ボール大作戦が功を奏し、やりたいことが溢れ、おもちゃ作り欲が爆発的に花開いたのです。
来る日も来る日も、段ボールで大作を作り続ける子ども達。
テレビ漬けになるわけでも、ゲームを求めるわけでもなく、ただ一心不乱に作品を作り続けるのです。
(まぁ、テレビを付けたところで、英語は分からないのですが。)
むしろ、無限にある時間を喜んでいるのです。
確かに、家は悲惨です。紙や段ボールや細かいもので床が見えないほど。
だけれど、人生のうちのわずか数年間を、きれいな家に住むことを重要視するか?
子どもの能力を高めるチャンスを一つでも多く取り入れるか?
比べると、私は迷いなく後者を選びます。

スーパーボールを転がして遊ぶおもちゃ。中学生になっても、息子はトイレットペーパーの芯を集めています。
遊びを生み出す力
子どもがteenagerになったころ、友人に言われて嬉しかった言葉があります。
「のぞみちゃんの子どもは、いつでもどんなところでも、楽しく遊ぶことができるね。遊びの天才!」
と。
年上のお友達から小さい子まで、我が家には、頻繁に異年齢のお友達が遊びに来ます。
段ボールで電車を作って乗せてあげたり、新しいゲームを考えたりすることは、日常の遊びです。
このような遊びを生み出す力があることを褒められたことは、素直に嬉しかったです。
ある時、段ボールジェットコースターを作り、階段の上から時速60kmほどで滑り落ちてきたときは、もう爆笑するしかなかったけれど。
子どもの頃の私の宝物
ふと、自分の幼稚園時代を思い出しました。
母が、工作や作品を展示する出展会のために、段ボールで、人形の家を一緒に作ってくれたのです。
ずっと、お友達の家にあるようなシルバニアファミリーに憧れていた私。
二階建てで、ベッドがあって、階段があって、ここはキッチン、ここはクローゼット・・・
と、自分の希望する通り、少しずつ家が仕上がっていくのです。
母も同じ教育方針だったため、小物ひとつ買ってくれません。
家にある包装紙や、生地の端切れ、お菓子の空き箱やらでデザインしていくその家は、私にとって、お友達の家にあるどんな豪華な家よりも、嬉しいものでした。
たまたま母は、手先が器用な人でしたが、もちろん、美術センスや理系要素が必須なわけではありません。
(あったほうがいいのでしょうが、少なくとも私に、その要素はゼロです。)

ボーリングにハマって作ったシステム。これが元となり、木で本格的な物を作ることとなりました。
親の思考の変化
子どもが何かを欲した時、まず買うのではなく、まずは作ってみる。
この習慣は、間違いなく子どもの脳と心と思考を育てるのだと、自信をもって言えます。
欲しい→どうやったらできるかな?→必要な材料は?→作る→失敗する→また違う材料で試す、デザインを替えてみる
この繰り返しで得られるものは、子どもの笑顔だけではないはずです。
おもちゃを与えて、これはこの子は好きでなかった。
これには飽きたから、次はこれを与えてみよう。
お友達の家やサポートセンターにあったこれが好きそうだと思って買ったのに、家ではあまり遊んでくれない。
この子は集中力がない、すぐに飽きる、人のものばかりほしくなる。
本当にそうでしょうか。
おもちゃが悪いのでも、もちろん子どもの素質がどうこうが原因なのではありません。
親があれこれ与えて失敗(したと勘違い)するのではなく、楽しめる力そのものを高めることに意識を向けてはどうでしょうか。
おもちゃを選ぶ、買う、(いずれ)処分することに掛ける時間とエネルギーを、少し変えてみるのも一つです。

世界が求めているのは、生み出す力のある人物
今教育界でもよく言われていること。
与えられたことを正しくこなすことはロボットに任せ、生み出す力をつけよう。
こういった力をつけるためには、幼少期からの環境の違いも大きいのではないかと感じます。
おもちゃは、選ぶのでも探すのでもクリックして届くのを待たなくても、作ることができるのです。
世界一魅力的なおもちゃを、子どもと一緒に無限に作ってみませんか。