「自分の事は自分でしようね。」
誰しも一度は口にしたことがあるセリフでしょうか。具体的に、どんなことをどのように、自分でやる習慣を付けていけばいいのでしょうか。やがて、家族の一員、そして社会の一員であることを理解するまでの、初めの第一歩かもしれません。
自分の荷物を自分で持って「えらい」?
私が、他の家庭との違いに気づき、子育ての中で「自分の事は自分で」について考えたきっかけがありました。
双子が幼稚園に入園した三歳、年少さんの時です。下に一歳の娘もいました。
三人のおむつと三人のベビーカー時代を乗り越え、ついにめでたく二人が幼稚園。
マンションの玄関には、続々と幼稚園バスが来ては乗り込んでいき、周りは子どもとお母さんでいっぱい。
ふと、他のお母さんが、うちの双子にこう言ってくれ、ある状況に気付きました。
「自分で荷物をもって偉いねぇ。」
見ると、全ての保護者が子どもの荷物を持ち、子どもがバスに乗り込む時に、荷物を本人に渡すのです。
帰りの時も、同じ光景が見られました。
バスから子どもが出てくるや否や、子どもから荷物を預かり、子どもは身軽になっていました。
これは、私に特に深い考えがあったわけではありません。
双子プラス娘を抱っこしている状況が、そうせざるを得なかったのだと思います。
自分の幼稚園に行くのに、荷物は自分で準備して持っていくものだと私自身が疑いませんでした。

上から下まで自分で準備してバスを待つ双子。初めの数カ月は毎朝泣いていて、不安そうな表情。
自分で荷物を準備して、帰ったらまずお荷物整理
当然、お弁当は私が作りましたが、それを鞄に入れるのは子ども。
コップやハンカチなども、自分で準備をしていました。
そして、帰ってきたら、まず自分でお荷物整理。
コップ袋からコップを出し、自分でお弁当の蓋を開けて、シンクに入れてもらいます。
金曜は、エプロンと三角巾と上靴を、それぞれ洗濯や洗い場に。
その夜、一緒にお風呂に入った時に、それぞれ自分で上靴を洗うのが週例でした。
たまに、コップやらを出すのを忘れていて、私が洗い物をした後に気付くと、自分で洗ってもらいます。
そもそも双子だし、下にはまだ一歳の娘がいるので、手が足りないのは当然。
できるだけ自分のことは自分でやってもらわないと、生活が回りません。
何より初日が勝負なので、少し前から、いよいよ幼稚園に行くのだ!と気持ちを盛り上げ、
”お兄ちゃんになるんだ”
という意識を与え、荷物の準備から整理までの流れを、何度も褒めながら教えていきました。
幼稚園に通ってしばらく、こんなことがありました。
周りのお友達みんなが、バスに着いたら「はい。」と荷物をお母さんに預けることに気づいたのです。
最後まで自分でやる二人は、決して「やらされている。」意識ではなく、誇らしそうな表情をしていました。

自分で自分の上靴を洗う子ども。私は仕上げ洗いはせず、洗い方が甘かろうが石鹸が残っていようがお構いなし。
小学校中学年ごろになると、親は手ぶらに
旅行やお出掛けの荷物も、小さいうちから、自分でリュックを持たせていました。
絵本やおもちゃも入りますが、旅行では着替えやら必要なものも、自分で考えて準備してもらいます。
小学校三年生ごろには、一泊程度の旅行なら、親の着替えも一緒に持ってくれるようになりました。
「ありがとう。」と感謝を伝えつつ、親がほぼ手ぶらになった時には感動したものです。
小学校高学年で釣りにはまったのですが、釣りの前日には、自分で必要な道具をそろえ、準備していました。
あれとこれとーと荷物はたくさん。
最後に、お父さんから「あれ入れたか。」と言われ、「あ、まだやった。」と、そそくさ準備します。
自分の行きたいお出掛けは、あくまで自分の責任です。
長い旅行では、自分の荷物プラス、家族の準備物も、それぞれに割り振るようになりました。
海関係はOO、洗面周りは△△、お菓子や飲み物は□□で責任もってよろしくねーと。
帰ってきてからの荷物整理も、自分の荷物は当然自分たちでやるし、家族の物はみんなで協力します。
三人が小学生くらいになると、旅行の準備や後片付けはあっという間。
毎年楽になっていくのが、はっきりと感じ取られ、年々成長を感じていました。

どこでもリュック付き。持っていくものは本人の判断に任せ、その代わり、最後まで自分で持ってもらいます。
休みの日の朝食は任せた!
「10歳で毎週日曜の朝食作り」
これが何となくずっと頭にあり、そこに向かって、火の扱い方や簡単なお料理を教えていきました。
「半分大人になった記念!」と盛り上げて、準備から時間まで、思い切って任せてしまいます。
日曜朝食は、子どもが食べたいものを、子どもが家族の分も作ってくれるのです。
全て手作りで、ホットケーキやメロンパン、時にはクレープやワッフルの日もありました。
それぞれの家庭によって、様々な形があるでしょうが、私のマイルールは、
学校がある日は、私が準備した栄養価のあるごはん(ここ大事!)を、家族で食卓を囲んで食べる。
ということです。
私自身、品数も少なく、ほぼ毎日同じような朝食で、作る手間も一切掛けません。
ただ、炭水化物、野菜、タンパク質、果物、乳製品の栄養バランスだけは意識しています。
白ごはん、野菜中心のスープ(お味噌汁やトマト、中華スープ、ポタージュなど)、手作り納豆だけです。
(アメリカでは全ての日本食が高いので、納豆や味噌は、作って常備していました。)
やがて、子どもも、自分でごはんを作るときに、五大栄養素のバランスを意識するようになっていきました。
学校がない日は、常備してあるスープを飲んで、あとは適当にあるもので済ませてもらうのです。
お母さんが、上げ膳据え膳で毎度のごはんを用意する意味は、私には感じられません。
お友達が泊まりに来て、一緒に朝食をわーわー言いながら作るのも、楽しいイベントだと思うからです。

大好きなわかめごまおにぎりに、卵焼きを添えて。野菜スープも一緒に食べると、もう完璧!
おやつ作りも任せた!
息子は、アメリカに来てからは、一気におやつ作りのプロになりました。
アメリカのお菓子を珍しく感じ、あれこれ試したくなるのも一時だけ。
あまりに口に合わない味と、甘すぎるお菓子が嫌になり、お菓子=作るものという意識に変わりました。
ひとつひとつ教えていき、もう高学年の頃には、おやつ担当は完全に息子に移行されました。
時間さえあれば、2,3日に一度のペースで、色々なものを作ってくれるようになりました。
ホットケーキやスコーン、ショートケーキにロールケーキ、ういろうやゴマ団子まで、もう感激レベルです。
やがて、友人の家へのお土産やらは、いつも息子が担当してくれるようになっていました。
「今週OOの家にお邪魔するから、△△作ってくれる?」
と。これは、本当に助かったし、お友達にも本当に喜んでもらえました。
そのお宅の子どもさんが、お菓子作りにチャレンジしたくなったりーといい影響がありました。

食通をもうならせた、絶品シュークリーム。カスタードと生クリームがダブルで入っていることも。
学校での基本は、必要なものを準備すること
教員時代、中高生になっても、忘れ物をした時に、「お母さんが・・・。」と言う生徒がたまにいました。
「お母さんが入れてない。お母さんが忘れたんだ。」と。
自分でやるべきことを、やってもらっていることに対する感謝以前に、ミスをつつくのです。
「いや、あなたの問題でしょう。」と伝えますが、これだけではなかなか改善しません。
忘れ物をしたり、遅刻したりすると、そもそもスタートラインにも立てません。
リコーダーを忘れたら、貸し出しはしますが、それを好んで吹く生徒はほとんどいません。
結局、その時間は、ほぼ何もしないで過ごすことになるのです。
アメリカの中学校では、管理能力が問われ、それが成績に直結します。
小学校まではとても自由だし、イベントも多く、お菓子が食べられる日もあって毎日遊びに近くようなもの。
荷物はシェアが基本で、自分の物を持っていく必要はありません。
そんな中、いきなり中学生になったら、荷物や時間の管理を問われるのです。
日本の大学のようなシステムで、個人が自分の時間割に合わせて、必要な物を持って教室移動します。
中学生で、時間や持ち物を完璧に管理できる生徒は少なく、そこから成績もぐっと差が開いてきます。
結局は、家庭教育がものをいうと、改めてここでも感じました。
感謝のラインをどこに設定するか
うちで、何らかの理由で荷物を一時的に持ってあげると、「ありがとう。」と自然に出ます。
忙しくて簡単な料理しか出せず「これだけでごめんね。」と言っても、
「用意してくれてありがとう。」と返してくれます。
自分で荷物や食事を準備させてきて、本当に良かったと思っています。
ごはんを炊く、スープを作るだけでも、子どもは、大変なことを知っているのです。
要は、親が準備や後片付け、食事や洗濯、身の回りの世話や荷物をもつことを当然と思うか。
本来は自分ですべきことを、助けてもらっていると思え、そこに感謝の気持ちを持てるか。
今でも、お弁当を作ると、毎度とても喜んでくれ、感謝してくれます。
買い物をして冷蔵庫に入れておくと、気づいた時に「買って来てくれてありがとう。」と言ってくれます。
困った時には、社会でも家族でも助け合いですが、まずは、自分のことは自分で。
そうすることで、自然と、やってもらうことに対する感謝の気持ちが芽生えるのかもしれません。