About the Author

元国立大学附属中高教員。心を育て、人と人をつなぐ教育プログラムを開発・実践。
2019年に渡米し、アメリカでNozomi Music Schoolを開校。
頭も体も心も、子どものもつ可能性を最大限に高めたい!!

洗い物が好きな人がこの世にいるなんて!

私の友人が、洗い物が好きだと聞いて、心底驚きました。私は、家事の中でも、食器洗いはかなり苦手な部類です。手も荒れるし、かと言ってそのまま放置しておくのも気分が悪い。

我が家の洗い物事情、こんな風に改善されつつあります。

チャペルの神前式で誓う「洗い物」

夫のご両親は、家の中で、当たり前のように仕事を分担されています。

兼業農家であった環境もあり、三人の子育てと家事を、二人で当たり前に協力されていました。

そんな家庭で育った夫。

「イクメン」という言葉が走り始めたばかりの時代でも、家事分担は当然と考えていました。

一方、私は、何もしない父と、何でも適当にパパっとやる母の元で育ったこともあり、そんな夫に感謝していました。


出会ってから一年後に結婚した私たち。

チャペルの人前式で、タキシード姿の夫が、こう言い放ったのです。

「毎日のお皿洗いを、ここで誓います。」

と。


クスクス温かい笑いが、チャペルの中に響き渡りました。


というのも、結婚を前に、二人で話し合ったのです。

当時大学に勤めていた夫。

希望すれば、おそらくそれなりの給料をもらえる民間企業に転職することはできたでしょう。

だけれど、同時に、時間も取られることは、ほぼ間違いありません。

  1. 1
    夫が長時間働き、その給料だけで生活を賄い、基本的に家の中は私が担当する
  2. 2
    互いに仕事を持ち、互いの給料を合算し、家事も分担する

二人で出した結論に迷いはなく、互いに仕事を持ち続け、家事も分担することにしました。

「毎日のお皿洗いを誓います。」と言ってくれたチャペル。これを守ってくれているのって、当たり前のことでなく感謝。

量も手間も増えていく洗い物

子どもが増えるにつれ、そして、大きくなっていくにつき、当然洗い物の量は増えていきます。

そして、日常的に人の出入りが多い我が家。

友だちや職場のお友達を呼び、自宅でも、頻繁にパーティーを開いていました。


何度か、夫が食洗器の導入を提案するも、私は難色を示します。

工事の手間や、できあがりまでの時間が掛かることに、なんとなくの抵抗があったのです。


料理は好きでしたが、一品増えるごとに当然洗い物は増えるので、食卓は常にシンプルな方向に。

毎日のようにお菓子も作っていましたが、シンクの中は、それにつれて山のようになっていきます。

夫は文句も言わずやってくれていましたが、子どもの寝かしつけからの洗濯、洗い物。

今冷静に振り返ると、ここに費やす時間は相当なものでした。


夫が洗い、私が拭いて食器を元に戻す。

色々話しながらだったと思うので、夫婦としての時間としては良かったかもしれませんが、

毎晩疲れ果てて、倒れこむように寝ていたことは事実です。

小さい子どもがいると、当たり前に汚れ物は増えるし、一日中ごはん作りと後片付けに追われることに。(でも、かわいいなぁ。)

「当たり前」をもう一度見直す

二人暮らしの頃は、それでも何品かのおかずを作り、食卓にきれいに並べていました。

やがて、子どもが産まれ、離乳食、そしてごはんを一緒に食べるようになると、状況は一変します。


子どものごはんは、ワンプレートが基本になりました。

とにかく、洗い物を減らしたい。

行事の時は、少し豪華にあれこれ並べるも、日常はできるだけ、シンプルに。

やがて、当然のように、大人もワンプレートごはんに変わっていきました。

スープだけは別だったけれど、とにかく洗い物を減らすことが、その頃の(私の)最重要事項だったのです。


いい食器を使って、日本の文化やマナーを身に付けることは、もちろん大切。

だけれど、体と心の健康はもっと大事です。

それぞれの家庭、時期、場面で、大切なものの順番は異なるし、当然変化します。


紙皿も、環境のことを考えるといつもは使えませんが、人が多く集まるときや、体調の悪い時にはアリ。


「こうあるべき。こうすべき。」より、

今大事なこと、今の優先事項は何か

を、その都度考えなおすことで、楽になれることがあるかもしれません。

双子のハロウィン誕生日のパンだって、ワンプレートごはん。今だって、まともな食器でごはんを食べるのは、お正月くらい。

家事時間の大幅削減

アメリカに移住して、我が家の生活に、食洗器が仲間入りしました。

というより、当たり前にどの家にも付いているので、どの家を選ぼうがそこにあるのです。

アメリカは、土地が広い分、家も大きく、キッチンも広く、食洗器も大型です。


もう、これが使い始めてびっくり。究極に楽で、家事労働時間も減り、最高だったのです。

昔夫が提案してくれていましたのに、なぜ賛成しなかったのか。

ボタン一つで、全ての食器が一気にピカピカになることが、何とも快感となりました。


とは言っても、環境のためにも水やガスも無駄にはしたくなく、一日一回の使用が目標。

(アメリカでは、お湯の量にはリミットがあり、食洗器後、シャワーはお湯が出にくくなります。)

ちょっとお皿を使って、それほど汚れていないのに、また次々と新しいお皿を使われたのでは、困ります。

我が家で当たり前の光景。娘は、この仕事をもってリラックスタイムに突入。手早(すぎる?)く流していきます。

役割を担って、はじめてその大変さを知る

食洗器の前に、予洗いは必要ですが、完璧にキレイにする必要はありません。

まだ早いかな?と迷いましたが、思い切って娘にその役割をお願いしました。

ここから、今までやりたい放題だった娘の目線が少しずつ変わってきたのです。


食器を次々新しいものを使う、食事中に食卓の上を汚すなど、子どもはそれぞれやりたい放題。

なかなかその大変さを、知りもしないのに、「想像して理解しろ。」と言っても難しいものです。


そんな中、子ども同士でこんな会話が出てくるようになっていきました。

「ちゃんとお皿の上で食べて。あとで台ふきが大変やろ。」

と、台ふき担当の息子。

「さっきのお皿、ちょっと洗ってそれ使って。全部洗うの大変やねんで。」

と、洗い物担当の娘。


もう一人の息子は、主にお菓子作り担当です。

洗い物が一通り終わった後にお菓子を作る時は、自分で使ったものはさっと自分で洗うようになりました。

子どもの気持ちが乗っている時に、褒めて感謝して次に繋げる。みんなが仕事することで、家庭や社会が回っていることを知る機会。

家族みんなが心地よく生活できるために

母親があれこれ一人で言い続けても、怒られたくないから改善しようとするのでは、本質ではありません。

それぞれが役割を担い、その大変さを知り、互いに思いやりながら生活したいものです。


それぞれの線引きは、それぞれの家庭によって違って当然。

力仕事はお父さんが適任かもしれないし、子どもが得意な家事もきっとあるでしょう。

大切なことは、家族全員で、自分ができることをそれぞれにやり、感謝をしながら心地よく生活していくこと。


私の今のささやかな夢は、子どもが巣立ち、夫と二人暮らしになった先の未来の生活にあります。

朝から、その料理にあったキレイな器に、ごはんを丁寧に盛ること。

お茶の時間に、夫とそれぞれのお皿にキレイに飾られたおやつをゆっくり食べること。

丁寧に入れられたお茶やコーヒーが、キレイなコップに入っていたら、もう最高!

そして、夜は、何品か作り、それぞれキレイに配膳された食卓で、ゆっくりごはんをいただくこと。

(これを読んで、夫はようやくこの時が来た!と喜ぶかな。でも、正直あんまり自信はない。)


今の雑な生活からは想像もつきませんが、

お皿の数を気にせず、ちょっと余裕をもって生活ができる日を楽しみに。

今日も娘に感謝して、お皿を洗ってもらおうと思います。

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