うちは、夫婦や家族仲がいいとよく言われます。
中学生になった子どもも、まだまだお父さんお母さん大好き。
それぞれ家族の形は様々ですが、うちが心掛けていることと、アメリカに来てから驚いた親子関係と、r理想の家族の形について考えてみます。
家族の形
家族の形って本当にそれぞれ千差万別。
私は、小さい頃から、色々な人の家にお邪魔する機会が多かったような気がします。
仲良くなったお友達や、お付き合いしている相手のおうちにも、よく招いてもらっていました。
学生の頃は、「集合!」の一言で、仲良しのお友達の家に頻繁に集まって、朝まであれこれ話していたし、
お友達のおうちで、一緒に食事をいただく機会もよくありました。
その度に、お邪魔して、毎度色々な驚きがあるのです。
お父さんお母さんの役割、親子のつながり、生活習慣、会話の内容、何もかもが自分の家と違います。
その中で、自分の家の在り方を誇らしく感じたこともあるし、
うちとは違うけれど、将来自分が家族を作るなら、こんな風にしたいなぁと思うこともたくさんありました。
親が当たり前に助け合い、役割は違うものの、対等であること。
親が子どもを信じ、見守っていること。
子どもも、一人の人間として尊重されていること。
皆がそれぞれに意見を言え、それを受け止めてもらえること。
そして、家族が仲良しで、笑っていること。

それぞれの両親を招いて、お食い初め。変化していく家族の在り方を、その都度夫と擦り合わせ。
年齢に応じての変化
子どもが小さいうちは、あれこれしてあげることが当たり前。
親が、身の回りの世話を全てやり、もしその愛情がなくなれば命の危険もあります。
やがて、子どもが成長するにつれて、サポートは必要ながらも、子ども自身が動くようになってきます。
そして、少しずつ本人の意志で歩き出し、その都度親子の関係は当然変化していきます。
この変化の中で、私は「お母さん」の意識の変化が一番大切なんじゃないかと気づき始めました。
お母さんがいつまでも、世話をしなきゃ!あれもこれも全部やらなきゃ!と思い続けると、
子どもとの間で不一致が起こってくるのです。
夫がよく言うのですが、私が、注意やリマインダーなどの言葉を掛けすぎだとういうこと。
もっと本人にさせ、間違えさせ、失敗させ、学ばせるべきだと。
私の中では、声を掛けないことで、その後の処理が私に降りかかってくることが面倒だったのですが、
色々トライ&エラーで、新しい家族の形を模索しながら毎日を過ごしています。
お母さんが完璧な訳がない
私がアメリカからオンラインで日本の仕事をしている時、現場を見ていた友人がとても驚いていました。
「家族の協力体制がすごいな!ご主人も子ども一緒にめちゃ動いてくれるな!」と。
オンラインの仕事で、私は、仕事の内容や組み立て、出演者として準備はしますが、
ネット環境や部屋の配置、休憩のお茶やご飯作りサポートなど、夫も子どもも大忙し。
私がわーわー大騒ぎする中で、「こうすればいいよ。」「これはどう?」と助けてくれます。
私は、できないことはできないで学ぶ気がなく、できる人に全面的に頼る癖があります。
お母さんだってできないことがあって当然。
そこは「助けて!!」と全力で求めています。
私が外で長時間の仕事の時は、夫に子どものお迎えや、その後のあれこれをお願いします。
娘は、「お仕事頑張ったね。」とプレゼントや手紙を作り、息子はお菓子を作って待っていてくれます。
お母さんでいることも、自分の好きな仕事ができていることも、家族のサポートあってのことだと感謝ばかり。

演奏の仕事は、私もエンジン全開。夫は、私の共演者の分のごはんまで作ってくれる。私の大切な人を大切にしてくれることに感謝。
互いに全力でサポート
当然、夫の苦手なことは、私も全力でサポートします。
そして、厚かましく「これして、あれして。」と頼みすぎる私に対して、
「これしておいたほうがいいと思うだけど。」と、最後の「お願い。やって。」と人に頼むのが苦手な夫。
そんな夫に、「これやっておこうか?こうしたらいいんだよね?」と私から声を掛けるようにしています。
もちろん子どに対してもそう。
自分で頑張るべきところは、全力で応援するし、手助けが必要な時は、夫も私も一緒に動きます。
家族って、いい時は当然いいのだけれど、悪い時こそ、その本質が見えるような気がします。
誰かが体調が悪い時、うまくいかず落ち込んでいる時、悩み事があって色々抱えている時。
そんな時こそ、支え合い、思いやりをもって互いに接することで、救われることができるのだと思います。
負の感情に埋もれている時こそ
子どもも私たちも、誰しも機嫌の悪い時もあります。
むしゃくしゃすることもあるし、夫婦の問題なのに、子どもに当たってしまうこともしばしば。
子どもも、学校であったことや、兄妹ケンカの時に、親にきつくなることもよくあります。
子どもとは、その都度冷静に話しています。
「今怒っているのは、お母さんがあなたに何かをしたから?」
「機嫌が悪いなら、嫌な気持ちで満たされてしまっているなら、抱きしめるからギューしよう。」
と。
当たり散らしても、当然いい結果にはつながらないし、更なる負の感情をまき散らすだけです。
時には、何も言わずそっとしてあげる優しさもあるし、成長途中の子どもには、何度も伝えることもあります。
そして、大人である私たちも同じ。
「お父さんお母さんがケンカしてるの、見るのも嫌やから。」と息子に言われることもあります。
娘は、「まぁまぁ、もういいやん。」とよく分からない慰め?をしてくれることも。
その度に、みんなで助け合っての家族なんだなぁと実感します。

ケンカもいっぱいの子どもたち。人間関係を作る練習をしているのだと信じて、ほぼ何も言わず見守っています。
反抗期のないアメリカ?
アメリカの家族の在り方は、聞いてはいたけれど、本当に驚くことばかりでした。
週末は、基本は家族で過ごし、家族で出かけたり、家でみんなでテレビを観てリラックスしたりします。
中高生にもなると、日本では子どもは友達やパートナーが優先になってきますが、アメリカは、まず家族。
誰かの誕生日や、サンクスギビング(収穫祭)やクリスマスなどの行事は、もう親戚中が各地から大集合。
夏休みなどには、互いの家を行き来したりビーチハウスに何泊もして、みんな一緒に遊んで過ごします。
そして、一番の驚くべきところは、思春期の子どもと親の関係がとてもいいということ。
teenagerの娘とお父さんが一緒に出掛け、登下校などの別れ際にハグをして愛を伝えます。
どうやら、そもそも車がないと、学校や習い事、友達の家などどこにも行けないということもあるよう。
子どもが親に反抗して嫌な態度を取ってしまうと、家から出れないような状態になるわけです。
ただ、根本的な理由は、別のところにあると思います。
押さえつける教育をそもそもしないので、反抗する理由がないのだと思います。
三者懇談で見える家族の形
高校教員時代、三者懇談をすると、家庭内がよく見えていました。
教員に反抗的な態度を取る子どもの親は、教員に対して同じような態度を取っていました。
勉強に前向きで、行事に積極的で、人付き合いがうまく、自分の人生を楽しんでいる子どもの家には、いくつか共通点があります。
「両親揃っていないから、ケンカが絶えない家だから、事情があるから。」できないのではありません。
家族が何人であっても、事情があっても、人とちょっと違う家族の形でも、心の持ち方が大切なのです。

夫に似た、まじめで頑張り屋さんの双子の息子と、私に似た年中ご機嫌な娘。なんだかんだ、いいバランス。
自分の理想とする家族の形へ
家族は、すぐにできるものではありません。
譲り合いや相手を思いやる心、互いにいい空気を作っていく努力。
きっと、魔法の言葉も魔法の薬もなくて、一歩一歩を重ねていくしかないのだと思います。
子どもは、自分の下でも、所有物でも、自分の夢を叶えてくれる代理でもありません。
赤ちゃん期が過ぎれば、少しずつ、親は真上でなく斜め上、そして少し遠くから見守るよう変化させる必要があります。
そして、子どもが辛い時、全力で受け止めてあげること。
子どもに元気がない時、そっと抱きしめて、言葉を掛けて、力を与えてあげること。
親がやることを、子どもは自然に学び、やがて自分が誰か大切な人に同じことをするようになっていきます。
そして何より、まずは私たちから。
夫婦がしっかり向き合い、愛情を表現し合い、向き合い続けること。
日々の小さな感謝や思いやりを植え込みながら、少しずつ根っこを広げ、伸びていくしかないんだろうな。