本のもつ力は、今更語るまでもありません。
読書力は、学力にも繋がるし、人と繋がるツールにもなるし、何より心を育ててくれます。
そんな本との我が家の付き合い方、渡米後の本との繋がり方、アメリカでの本の読み方を紹介します。
週末はいつもの図書館へ
子どもが物心がついた頃から、「週末は図書館」が、お決まりのお出かけ場でした。
いつも同じ大きな鞄を使い、借りれるだけ借り、家に戻ると、自宅本棚の「図書館コーナー」に並べます。
平日は、それを順に読み、また翌週末になると、同じ鞄に全て入れて返して・・・の繰り返しです。
やがて子どももそのパターンを理解し、そのルーティーンを自分で進めるようになります。
子どもが2,3歳くらいまでは、読んだ本を全て書き出して、メモにまとめ、冊数を数えていました。
この記録は、数年で終えてしまいましたが、我が家の育児に読書習慣をもたらすいいきっかけになりました。
(常に自分と戦っている状況を作ると、俄然盛り上がれる性分です。)
そして、もう一つおすすめなのは、「お出かけに本」をパターン化することです。
車で出かけるときは、いつもの鞄に入るだけの本を詰め、車の中ではひたすら読み聞かせ。
電車移動では、荷物の重さに限界があるでしょうが、数冊持ち歩き、隙間時間に本、という流れを作るのです。
これも同じように、子どもが大きくなってくると、お出掛けの時には、自分で本を準備するようになります。
子どもが少し大きくなれば、大人の本も持ち歩き、電車で親と子が並んでそれぞれの本を読むようになりました。
これは、私の母が、家の中でさえ、ずっと片手に本を持って移動しているような人だった影響も大きいです。
机の周りには、辞書が常に置いてあり、私が何かを質問すると、すぐに辞書を開いて見せてくれていました。
親の日常の中に、本があることを見せることが、子どもにその習慣を付けられる手っ取り早い方法となるのです。

珍しく夫が本を読んでいるところ。毎晩の楽しみな本時間。
懇談で見える家庭教育
懇談の時期になると、廊下に待ちあいの椅子を置き、順番を待つ保護者の方の姿がずらっと並びます。
その風景から、その家庭の中がちらっと見えることがあります。
ある学校では、基本はケイタイで、親と子は、隣にいながら別々の空間で過ごしていました。
附属学校で、初めて、親子が並んでそれぞれの本を読んでいる姿を見た時には、なるほどーと感心しました。
他にも、あれこれ静かに会話を楽しんでおられるご家庭も多かったように思います。
ついでに言うと、私が廊下を歩いている時の、会釈や挨拶をされる保護者の方の数も、大きく違いました。
普段の読書に対する習慣付けが、この年齢のこういった場面にまで及ぶのだと、教師の立場でも知りました。

妹に読み聞かせをしてあげる兄。今では見られない、私にとって貴重な写真。
渡米後、読書習慣の途切れから、自宅図書館開館へ
息子小学校3年生、娘1年生の時に、一家でアメリカに移住しましたが、そこで読書習慣が見事に途切れました。
そもそも移住にあたり、持ち込んだ本は、数える程度です。
(そもそも、図書館メインだったため、持っていた本は、そう多くはありませんでした。)
生活が落ち着き始めた頃、図書館にも行ってみましたが、当然のように英語しかありません。
そこで数冊借りてみるものの、全く分からない内容に、子ども達は、本を手に取ることがなくなりました。
日常に慣れるのに精一杯でしたが、ある時、このままでは日本語力が落ちる一方だと気付いたのです。
自宅で話す語彙数は、限られています。
ある時、より豊かな日本語に触れさせるために、自宅で日本語の図書館を開くことを思いつきました。
周りに日本人のハーフの子どももちらほらいらっしゃいます。
自分の子どもだけでなく、周りの子どもたちにも、より日本語の本を手に取ってもらう機会を増やそうと考えたのです。
SNSなどで、自宅図書館の開館を目指して、日本語の本を集めたいと呼びかけることにしました。
すると、驚くことに、アメリカや日本、他にもハワイなどから、続々と本が集まってきたのです。
友人はもちろん、賛同してくれた見知らぬ方々が、会ったこともない私に、本を届けてくれたのです。
NPO法人グッドライフさんにも支援をお願いし、日本から段ボール2箱分の本を送ってくださいました。
その後も、伊藤忠財団の助成事業にエントリーし、子どもの本100冊の支援を頂きました。
今では、自宅で1500冊を超える日本語の本が、赤ちゃんから大人の分まで並んでいます。
皆さんのおかげで、子どもたちが本に親しむ環境が保てていること、本当に感謝しています。

日本の大手出版会社からも、友人の紹介で、廃棄本をまとめて送ってもらうことに。
アメリカでの読書の取り組み
図書館のスタッフに聞くと、小さい頃に読ませる時に、こういうことを意識してーと教えてもらいました。
親の苦手意識をもたず、様々なジャンルを網羅して読み聞かせること。
これ、確かに「なるほど!」と思いました。
うちで言うと、昔話、季節や生活、どうぶつの本はよく手に取るけれど、
科学・自然・生きもの、詩、数字は、私の興味が薄く、あまり手に取ることがなかったように思います。
親の得意ジャンルや好きなものは、自然と子どもも親しむようになりますが、
親が苦手なジャンルこそ、こちらが意識して与えなければいけないと気づきました。
そして、読書習慣の中で、日本との違いを感じたことは、
小学校中学校での読書の宿題は、自分の好きな本を選べるということです。
例えば小学校4年だと、「今週120分以上好きな本を読もう」という宿題が出ますが、それに加えて、
自分が選んだ本のタイトルとジャンル、そして大まかな内容を書くことが求められます。
ジャンルは、例えば、fiction, non fiction, fantasy, realistic fiction, novel, graphic biographyなど。
読むだけで完結ではなく、それを人に伝える力が求められることは、日本との違いで面白く感じるところでした。
小学校1年生だと、まだライティングの力が十分でないので、読んだ本の内容は、口頭で伝えます。
ボランティアスタッフ(保護者が毎日、入れ替わりで先生のサポートをします。)に内容を伝えて、
理解できていると判断されると、次の本を読める(借りられる)システムです。
(渡米直後にボランティアに入っていた私に、小学校1年の子どもがストーリーを話してくれていたのですが、「・・・(全然何言ってるか分からない。)Good job!」と伝え、次の本を渡していました。)

夏休みの長期実家帰省の時にでも、山ほど本を持参し、勉強と本読みの習慣を死守。
学び直しはいつからでも大丈夫!
先述した通り、娘は小学校一年生で渡米し、日本語の読み書きを学ぶ以前に、英語の世界に入りました。
初めは、日々の英語についていくことに精一杯で、英語のレベルを上げるのに、親も本人も必死。
(とは言っても、ABCを教えたり、名前を書けるように練習したりーといったレベルですが。)
その後、日本語力こそ家庭でサポートしなければ!ということに気付きました。
何とか環境を整え、娘に再度読み聞かせをする頃には、小学校2,3年生になっていたと思います。
本人が選んでくるのは、絵本ばかり。
そりゃそうです。日本にいた頃、このレベルで止まっていたのだから、当然の選択。
もちろん怒ることも否定することもせず、本人が望むものを、ただひたすらに読み聞かせしました。
すると、少しずつ小学生レベルのものが読めるようになってきました。
自分でなぞなぞの本を楽しんだり、自分で物語を読んだりして、少しずつ手に取る範囲が広がってきました。
本人が望むものを丸ごと受け入れながら、少しずつ自信を付けさせる。
当該学年でなくても、何の問題もありません。
その子の求めるものが、その子の心や頭が必要としているものなのです。
「うわぁ!いい本選んだね。これ好きだなぁ。」と声を掛けながら、私も娘と日々楽しみます。
目に見えない一生の財産を
こうして、子どもの読書習慣を、紆余曲折ありながらも、今でも現在進行で頑張っています。
中学生にもなれば、親が読み聞かせをしてあげることは恐らく皆無です。
忙しい毎日ですが、ちょっとした隙間に、本を読んであげることが、一生の財産になると信じ、今日も頑張って本を読んであげよう。