習い事は、子育てにおける永遠のテーマのような気がします。何歳から何を、どこの教室に通って、どれくらいの頻度でやるか。あれがいいこれがいいと色々な噂も入るし、自分の子どもに何がマッチするのか、考えることはたくさん。私が習い事にかける想いと、私の習い事歴史、現在までの子どもの習い事について書いてみます。
習い事が今の私を作った
うちは、決して裕福な家庭ではありませんでしたが、教育に関してだけは、お金を掛けてくれました。
小さい時にやった習い事は、こんなかんじ。
- 1幼稚園の頃から、ピアノと聴音(絶対音感のトレーニング)
- 2小学校で、水泳、算盤、書道、公文、塾
- 3中学で、家庭教師
- 4高校で、声楽
- 5大学で、英語や着物、お茶
- 6社会人になってから、テニスやゴルフ
長くやっていたのは、音楽関係だけで、他は、短期であったり、入れ替わったり、受験対策であったり。
周りの友達と比べると、少し多かったのかな?と感じますが、習い事だらけだったという印象はありません。
親から強制的に習わされていたものもないし、いつでも辞めることはできました。
残念ながら身に付かなかった習い事
「リレーの選手に選ばれなかったのは、うちで初めて」と言われた、私の運動音痴ぶり。
父は少林寺拳法黒帯、母は合気道黒帯、姉二人はずば抜けて運動神経が良く、強豪校からの勧誘もあったそうです。
私は、お試しに習った水泳も、大人になってから試したテニスもゴルフも、全く身に付きませんでした。
そして、ずっと字が汚いことがコンプレックスだったけれど、これも、10年以上やったけれど、全くダメ。
一生懸命はやっていたけれど、どうしてもセンスがないのです。
有難いことに、夫がとても字がキレイなので、何かの時には、夫に書いてもらっています。
そして、中学にやっていた塾は、お金をドブに捨てていたようなもの。
友だちと会うのが楽しく、駐輪場で石を投げて民家のガラスを割ったり(謝罪に行き、お金を払いました。)
授業中は友だちと騒いだり、集団授業なのに、先生にあれこれ話しかけたり、本当に迷惑な生徒でした。
さぼってコンビニで過ごしたことも、二、三度ではないかもしれません。
だけど、色々な悪事が社会経験となり、抜群のコミュニケーション能力を得たことは事実です。
(物は言いよう、考えよう。※当時の皆さま、ごめんなさい。)
私には、人ができないことができる?
忘れもしない、小学校6年生、友達との下校中のことです。
学校のチャイムか何かを、私が何気なく階名(ドレミ)で歌ったその時、友達が言ったのです。
「何めちゃくちゃ言ってんの。」
別に意地悪でも何でもなく、大阪のツッコミで、変な言葉(ドレミ)をつっこんできたのです。
私は驚き、(全部ちゃんと歌ってるのに、友達は分からないんだ。)ということに衝撃を受けました。
私は、音楽を仕事にしており、学校でも自宅でもたくさんの生徒を教えてきました。
小さい頃からトレーニングすれば、絶対音感を付けることは、そう難しいことではないことを知っています。
だけれど、当時の私は、みんなは分かってなくて、私だけが知ってるのだと、陽気な勘違いをしたのでした。
私は、習い事の醍醐味は、ここだと思っています。
それが仕事に直結しないことのほうが多いし、実際、ピアノを習っている100人中1人も、職業にできる人はいません。
(だから私はすごいんだという話ではなく、私は残念ながら勉強偏差値がひどかっただけ。)
習い事は、人より、ちょっとできるんだという勘違いを山ほどさせて、それで自信を持てることが最高のメリット。
どうせやるなら、いい先生に
私が音楽を習っていた先生は、有名音楽大学出身の、大阪支部長をされていた先生。
この先生の指導力は、地元では評判で、山ほど生徒が集まり、朝から晩まで、ずっとレッスンをされていました。
この先生の真の威力を感じたのは、大阪府の公立音楽教員になった後です。
ふと周りを見渡すと、先輩にも後輩にも、この先生の門下生が何人もいたのです。
今では珍しいかもしれないスパルタの先生で、とにかく練習を求め、聴音もきっちりとされていました。
怒られた記憶はあまりありませんが、上手になっていくことが自分でも分かるので、面白かったのでしょう。
多くの生徒さんが集まるということは、多くの生徒さんを引きつける魅力があるということ。
だけれど、それが、必ずしも自分の子どもと相性がいいかは、また別の話です。
その道のプロか、人として信頼できるか、そして、子どもとの相性がいいか。
時間とお金を使って習わせることです。
しっかりと自分の目と、子ども自身の目で見て判断し、あとは信頼して託しましょう。
わが子の習い事事情
息子たちは、保育園の頃に、書道(硬筆)を始め、小学校になると、進研ゼミとバスケ、水泳を始めました。
娘も、同じように、書道(硬筆)から始め、水泳、渡米後は、体操とコーラス、ミュージカルをやっています。
それに加え、渡米後は、私がピアノや聴音、リコーダーやクラリネットも教え始めました。
あとは、習い事の一環というのか?渡米後は、毎週末日本人学校へ通学しています。
確かに、今、うちの子たちの日常は大忙し。
平日は現地校、土曜は日本人学校で、いつも帰宅は夕方です。
それに加え、息子は、週に何度かバスケ練習に行き、娘は、コーラスや体操、ミュージカルに。
そして、毎日必ず、宿題に加え、それぞれクラリネットやピアノ、聴音などの音楽の練習を続けています。
その中で、平日にお友達と遊ぶ時間もきちんと取り、日曜は完全オフの日としてリフレッシュしています。
この習い事は、私の思惑通り、子どもたちに、ほんの少しの自信を重ねることができていると確信しています。
渡米後はしっかりと日本語の勉強を続け、自宅でもサポートし、バイリンガルであること。
それに加え、人より少し運動が得意だということと、人より少し音楽ができること。
この少しずつの自信が、今の彼らを作っていることは確実です。
数十メートルの移動のために毎日仕事を早退
息子がバスケを始めたのは、共働きの私たちにとって、学童後の行き場所を確保することが目的でした。
それでいて、どうせやるなら、結果を出している、本気の習い事をさせたい。
幸運なことに、地元で、日本一に輝いたことがあるミニバスのチームを見つけ、すぐに習わせました。
週6練習がある、かなりガチンコな練習内容でしたが、夫も私も即決でした。
どうせ時間を掛けるなら、本気で取り組んでいる場所で、技術だけでなく精神力も身に付けてほしい。
私たちの想いは、明確でした。
当時小学校1年生だった息子たち、怖がりで新しいところが苦手で、意気地なし。
学校から運動場にあるプレハブの学童に行き、その後体育館に二人で移動することができないというのです。
私は、毎日仕事を早退して、一時間半かけて17時に小学校に行き、数十メートル先の体育館まで手を繋いで連れて行きます。
もう、正直泣きたいし、何でこれだけの距離のために?と情けなく思ったけれど、もうやるしかない。
(その後、6年生のキャプテンが学童に迎えに行ってくれることになり、泣くほど感謝しました。)
練習が始まるも、私と手が離せず、コートの中で、私と手を繋ぎながら練習しているのです。
そんな子、周りを見渡しても、うちの子だけ。
コーチにも、散々言われましたが(とても感謝しています。)、手を離すのに数週間掛かりました。
コミュニケーションツールになったバスケ
それでもバスケを続け、やがて友達や後輩が入ってくると、我が物顔で、あれこれ教え、楽しみ始めました。
そんな折、小学校3年生で渡米が決まりまったのです。
ABCさえ知らない子どもたちが、突然アメリカの小学校に通い始めたのです。
もちろん言葉での会話は全くできないし、中にはアジア人差別をするクラスメイトもいました。
そんな厳しい環境の中、二人が唯一輝けるのが、バスケなどの運動時間でした。
走ってもボール遊びでもクラストップ、そしてもちろんバスケは、全員から注目されるほどうまい。
(と言っても、先述した通り、抜群に能力がある訳ではなく、日本で二年習っていた成果です。)
習い事でもすぐにバスケを始めたけれど、ABCのチームに分けられても、トップに入れる。
これが彼らの自信となり、一目置かれるきっかけとなり、彼らの生活が変わっていきました。
「あいつらスポーツすごいぞ。」と尊敬もされていくようになります。
始めは、チーム内でも、コーチの言っていることが分からず、返事もできていませんでした。
だけれど、そこからチームの信頼を得て、少しずつ彼らの顔に自信が戻ってきました。
才能と努力
アメリカは、バスケの本場です。
もし渡米することが分かっていたら、私は武道をさせ、日本人として有利なスポーツで狙ったかもしれません。
だけど、こうなった以上、その世界でやるしかないのです。
そして、私たちアジア人は、背も高くないし、欧米人に比べて、圧倒的に華奢で体の線も細い。
しかも、息子たちが、もともと運動能力が高かったとは到底思えません。
だから、できることは、努力だけです。
実は、勉強以上にスポーツが得意な夫。
残念ながらバスケは素人ですが、それでも真剣に、日々時間を掛けて、子どもにバスケを教え続けました。
何年も、毎日1-2時間、仕事が終わってから、双子の息子と3人でバスケットコートに行き、ひたすら基礎練習。
それを続けた結果、中学になると、彼らのレベルは、トップのAチームの中でもエース級になっていたのです。
いいチームメイトにも恵まれ、オレゴン州のチャンピオンを決める大会でも、3位になることができました。
そこまでに、一万本のシュート練習をこなして記録するなど、チーム練習に加え、毎日自主練習も続けたのです。
そして、日本に一時帰国するたび、渡米前に在籍していたミニバスチームにお願いし、練習に参加させてもらいました。
日本に遊びに帰るのに、自分のボールとシューズを持って、平日は毎日バスケ練習。
日本の細やかな指導と動き方は、彼らの技術を高め、多くの知識をもたらすこととなりました。
習い事の目的
近い未来、(アメリカの中では)背も小さくて華奢な息子たちは、いつか情熱を冷ますかもしれません。
だけど、それを挫折とは感じないし、もちろん今までが無意味だったとは全く思いません。
困難な状況で、何をすればいいのかを頭で考え、それに向けて最大の努力をしたこと。
そして、努力をすることで得た結果やそこで過ごした仲間は、彼らの得た大きな宝物です。
その世界で生きていけるかどうかは、ずっと後に分かる結果論です。
結果より大事なものが、その過程にあるはず。
明確な思いや言葉にはできなくても、きっとそれぞれ、何かを持っているはず。
親や子どもの選択一つ一つが、子どもの人生にとって、大きな財産になるのです。
人からあれこれ言われることは、全く関係ありません。
自分の子どもを一番理解している親が、自分の子どもを伸ばしたいことを考え、人生を開いていきましょう。