About the Author

元国立大学附属中高教員。心を育て、人と人をつなぐ教育プログラムを開発・実践。
2019年に渡米し、アメリカでNozomi Music Schoolを開校。
頭も体も心も、子どものもつ可能性を最大限に高めたい!!

子どもにリーダー気質を身に付けてほしい。

前に出て発言したり、クラスをまとめたり、あらゆることにチャレンジしてもらいたい。

小学生になると、学校や学童、習い事でも、希望すれば色々なことに挑戦するチャンスが出てきます。

うちの子は恥ずかしがりだから無理ーと初めから諦めますか?

もし、その気質を、家庭で養えるなら、挑戦してみる価値があるかもしれません。

お母さんから離れられない幼少期の我が子

子どもはそれぞれ、遺伝や持って生まれた性格があり、その後の環境によって、向き不向きも様々です。

ただ、小さければ小さいほど、伸ばそうと思えばいくらでも伸ばすことができると、私は信じています。


私がそれを意識した最初の頃は、幼稚園や保育園の入学時の頃でした。

住んでいたのは大型マンションのため、園バスがマンション下までやってきてくれます。

最初の数カ月は、離れるのが寂しくて、毎日マンションに響き渡る声で泣いていました。

やっと泣かずに登園できるようになったころ、同じマンションの人に、

「今日は泣いていなかったね。」と声を掛けて頂けました。

ニュアンスから、恐らく(良かったね。)という意味だと感じ、見守ってくれていることを有難く感じました。


新しい環境になじむのに時間が掛かり、小学校の初登校でも、私の手を一切離さず、嫌だ嫌だと教室に入りたがりませんでした。

担任の先生がご理解のある方で、「今日はお母さんと一緒でもいいですよ。」と無理に引き離そうとはされませんでした。

やがて、入学式のために全員が廊下に出ると、優しい6年生のお兄ちゃんお姉ちゃんが、待ってくれていました。

一人ずつ、新入生の手を引いて、体育館に連れて行ってくれるのです。


お兄ちゃんが、息子に「大丈夫だよ。一緒に行こう。」と何度も優しく声を掛けてくれます。

「お母さん体育館で待っててくれるよ。すぐに会えるよ。」と言われても、息子はうつむいたまま私の手をにぎり、首を大きく振ります。

私は、「ごめんね。」とお兄ちゃんに謝りました。

そして入学式が始まり、1年生と6年生が手をつなぎ、体育館に入場していきます。

お兄ちゃんが少し先に歩いてくれ、私は息子と手を繋いだまま、保護者のカメラとビデオの嵐の中、できるだけ腰を低く入場しました。

もちろん、新入生の中でこのように入場したのは、息子一人だけでした。

毎晩「明日学校に行きたくない。」と泣いていた頃。学校が嫌というより、離れるのが寂しいそう。

突然前に出ることを楽しみだした息子

そんな息子でしたが、小学校の低学年のうちに、次のような経験をするようになります。

  •  クラスの号車リーダー(班長)
  • 学級会でクラスの意見まとめ、司会
  • 応援団のリーダー
  • 学童の行事で司会
  • 音楽会で立候補をして数の少ない楽器を担当

その後も、渡米後の日本人学校では、「ミニ先生」の称号を頂き、オンライン授業でも対面授業でも活躍していました。

参観でもよく発言するし、懇談でも、担任の先生からリーダー気質を認めてもらい、頼りにしていただいていることが感じられました。

クラスで一人の応援団長。わざわざ折り紙で作ってくださった先生に感謝。

ようやく撒いてきた種が出てきた!

親の私から見て、わが子たちは、もともとリーダー気質があったとは思えません。

むしろ、まだ小さい頃、「やりたい!」というお友達を見て、すごいなぁとうらやましく思っていました。

私が、ありとあらゆる場面で、そう仕向けてきたことが、やっと芽吹いてきたと感じたのです。

そのやり方はひとつ。親が前に出て楽しんでいることを、見せ続けること。


道端で大道芸人を見ていると、最後に「誰か手伝ってくれませんか?」と手品のお手伝いを求めることがありました。

私は誰よりも大きく反応し、笑い、不思議がり、このような手伝いには、「はいっ!」と勢いよく手を挙げました。


お友達グループでは、我が家で数え切れないほどイベントを主催し、竹を切っての素麺流し、おもちつき大会、花火大会、プール遊びなどを企画しました。


吹奏楽の市民コンサートでは、「誰か大人で指揮をやってみたい人?」にも、お決まりのように手を挙げます。


参観などで、先生から「最後に保護者の方から感想があればぜひ。」と言われても、元気に手を挙げます。


保育園の最後には保護者代表として挨拶をし、地域のお祭りでは運営委をし、PTA代表の推薦ももらいました。

(ちょうど、渡米が決まる年だったため、残念ながらお断りしました。三年生保護者への依頼は珍しいと言われました。)

渡米後の日本人学校でも、毎年学級委員に推薦され、(本来なら一度でいいはずが)毎年していました。


小さいことから公式の場まで、パッと手を挙げて立候補し、「あー!楽しかった!みんな楽しんでくれて良かったなー。」と肯定的な言葉を残します。

間違っても、「いつかはあなたも、こういったことはやるべき。」という言葉は逆効果になるので言いません。


子どもは、初めの方こそ、常に前に出る私に、驚きや「やめとき」と腕を引っ張ることもありました。

それはやがて、「お母さんなら、どうせやると思った」という意識に変わっていくのでした。

半ば乗せられて立候補し、あろうことか抽選で当たってしまい、落ち込んで前を向けない息子。皆大笑い。

安心安全な場の中で、小さいリーダー体験の積み重ね

子どもにとっては、おそらく家が一番リラックスできる場です。

お友達を招いてパーティーをするときには、少しずつ子どもをリーダーとして役割を与えていきました。

挨拶、配膳、ゲームの提案、お菓子の選別、順番決めなど、子どもに任せていくのです。


やがて、先述した吹奏楽の指揮体験も、今年は一緒にやってみようと、一緒に前に出るようになりました

当然緊張していましたが、後に、かっこよかった!素敵だった!いい経験できたね!と認めるのです。


ほんの少しの勇気で、貴重な経験ができたり、自分を試せたり、新しい世界に出会えます。

そういう新しい自分に出会うチャンスを、まさに自分の背中で見せて、感じさせていくのです。

母は何もしないのに、「やってごらん。」は、時にただの押し付けです。

楽しそうなことに気付かせ、自信を付けさせながら、自分の勇気を自分で肯定する場面設定をし続けるのです。

2度目の指揮者体験では、妹を連れて、しっかり棒を持って動かしていました。

素質の見極めも時には必要

うちの一番下の娘は、人前に出ることが好きではありません。

というより、全く興味がありません。

それに初めに気づいたのは、保育園の劇やお誕生日会でした。


名前を呼ばれて、返事をして、前に出て、「△歳です。」と言えない。(抱っこで連れていかれていました。)

劇も、ビデオを撮っていても静止画かと思うくらい、下を向いて動かず、先生に引っ張られて右や左に移動するだけでした。


その後も、「こんなことがあるね。やってみたい?」と聞いても、「いやいいわ。」と、一瞬で断ります。

私もそれ以上には勧めることはしませんでしたが、それでよかったと、10年後に感じることがありました。


保育園の時の、返事をしなかったそのお誕生日会のビデオ映像を見返すことがあり、娘がこう言ったのです。

「この時ほんまに嫌やったわ。なんで無理やり出なあかんかったんやろ。」

と。覚えていることにもびっくり。(保育園の先生が善意でやってくださっていることは理解しています。)

そして、確かに、アメリカでは、どんな状況でも、「やる。やらない。」を選択できます。


子どもを伸ばしたい一心で、自分に合わないところを無理に引っ張っても成果は出ないし、本人にとっても苦痛でしかないんだ。

ーと改めて気づきました。


ステップアップできるきっかけ作りや、そっと背中を押してあげることは大切です。

子どもの性質を見極め、意志を確認しながら、一歩ずつなんだと思います。

自分の思い通りの型にはめることを、最終目標にはしないように、私も気を付けないと。


しかし、その後、小学校高学年になった娘は、合唱のソロに応募したり、着々と人前に立っていくのでした。

どんな人にも、性質ももちろん、そしてタイミングもあるんだと思った出来事です。

プログラミング教室で、質問や感想、答えを求められる場面で、躊躇なく手を挙げる息子。

附属で実際に見てきた、新たな能力の開花

アメリカの小学校では、多くの生徒が当たり前に手を挙げて発言をするし、自分の意見を伝えます。

発言をしないということは、意見も意志もないと判断されて仕方がないでしょう。


もちろん、リーダーが良くて、なれない子は悪いというつもりは、全くありません。

ただ、日本の教育を受けながら、リーダー性を身に着けることは、とても難しいことだと思います。

その中で、自分の特性を色々伸ばせる小さいうちに、様々な環境に身を置いたり、経験しておくことは、絶対的に必要だと思います。

リーダーをやってみて、やっぱり合わないと感じるなら、それはその子の選択であり、正しいのでしょう。

リーダーと一言で言っても、表で声を上げるタイプや、影で支えるタイプ、もちろんそのあり方は様々です。

色々経験した中で、自分の特性を見つけていくのと、そこしか知らずにその道に進むことでは、可能性の広がり方が違うと思います。


事実、附属校に勤めている時、こういった例は山ほど見てきました。

能力が高く、リーダー性を持っている生徒が多い学校ですが、もちろんそういう子ばかりではありません。

様々なタイプの友達に囲まれて過ごす中、互いに新たな力が開花し続けているのを、ずっと見続けていました。

中1の入学直後と、高3の卒業時では、大きく成長した姿が見られ、何も変わっていない子などいません。

静かで大人しかったある生徒が、最後に大きな行事で閉会の挨拶をしていたことも印象に残っています。

「もともと私は、こういったところに立って話すタイプの人間ではありませんでした。」と。

その人の持つ性質ももちろんですが、周りの環境で、いくらでも人は伸びていくのです。


人の目が気になり始めるまでに、できるだけ人前に出る楽しさに気付き、多くの経験をさせてあげたい。

「誰かに何か言われたらどうしよう?」より、「誰かを楽しませてあげる喜び」を知れるといいですね。

人前で意見を言う練習は、多ければ多いほどいいです。

学校だけに任せるのではなく、家庭でできる環境作りを、親子で、家族で楽しみながら取り組んでみてください。

{"email":"Email address invalid","url":"Website address invalid","required":"Required field missing"}
>