About the Author

元国立大学附属中高教員。心を育て、人と人をつなぐ教育プログラムを開発・実践。
2019年に渡米し、アメリカでNozomi Music Schoolを開校。
頭も体も心も、子どものもつ可能性を最大限に高めたい!!

「夫婦となり、家庭をもち、そして夫婦に戻る。」

子どもをもつ人生を歩む多くの人は、この形になることが多いです。

そして、家族の在り方も、夫婦の形も人それぞれ。

私の気持ちや、うちの形、そして大切にしていることを伝えることで、新たな気づきになったり、一緒に考えるきっかけになれば嬉しいです。

結婚式で伝えた「理系の夫と芸術系の妻」

私たちは、共通の友人を通して出会いました。

互いに、グループ友達として、存在は知っていたものの、そこまで話したこともありませんでした。

その後、友人宅で少人数パーティーをした時に、初めて話し、個人的にやり取りするようになりました。

その一週間後にはお付き合いが始まり、一年後には結婚式を挙げたのだから、まぁまぁ早い展開。

互いに好意をもって一緒になるので、初めは少々のあれこれなんて気になりません。

結婚できること、一緒に暮らせること、家族になれることに幸せいっぱいでした。


だけど、結婚式の準備が始まり、色々と疑問が湧いてくるのです。

当時、大学の研究員だった彼と、高校音楽教員だった私。


結婚式に向けて、やることや決めることがたくさんある中、彼はパソコンに向かっていました。

見ると、いつまでに何をしなくちゃいけないかや、誰が担当するかなどを、詳細に表にまとめているのです。

私は、とにかく今手を動かしながら、やらなくてはいけないことをどんどん進めていくタイプ。


プランナーさんとの話が進む度、表を更新し、マイルストーンを置き、完璧な予定を頭で進めていく彼。

私は、あれこれ買いに出たり、探したり、とにかく体と手を動かして進めていく私。


「理系と芸術系、全然違うけれど、これから夫婦になります!」と結婚式で誓いました。

一週間前に、インフルに罹り、最後の準備を彼に丸投げした私。予期せぬことで、最後に体を絞れてラッキー。(やつれただけ?)

私が夫といることを選んだ理由

そもそも、私が夫と結婚することを選んだ理由は、たった一つです。

ビビビとはこなかったし、タイプだったわけではないし、たぶん今まで出会った中で一番私を褒めてくれない。

そして、私が映画やらを見て涙を流しても、拭ってくれたことがないという、私にとっては初めての人。


しかも、当時彼はポスドク。(博士研究員:博士号を取得したのち、大学や研究機関において任期付きで研究活動をする非正規雇用スタッフ。正式名称はポストドクター。 インターネットより)

両親は、結婚に賛成してくれたものの、ポスドク問題がニュースでも取り上げられていた時代。

当時、母からは、こう言われました。

「おめでとう。もし彼に仕事がなくなったら、あなたが働いて稼ぐ覚悟は持ちなさい。」と。


だけど、私に迷いは全くありませんでした。

当時、食事やデートをする相手は何人かいましたが、スパッと全員に結婚することを告げました。


彼のここが好きと思えるところは、たぶん100個くらい上げられます。

(彼は、きっと私に対してそんなに上げられないと思うけれど。)

だけど、そのどれも、私が彼と結婚した決め手ではありません。


彼のここが好きだったからーということではなく、私は、彼と一緒にいる時の自分が一番好きだったんです。

親や友達、それまで誰かと一緒にいた私でなく、夫の隣にいる自分が一番幸せに感じられた。

夫と出会ってから、ずっと私の幸せ度は上がりっぱなし。日々小さな高低はあるけれど、それでもずっと夫が一番。

生活スタイルの変化と、夫婦の変化

だけど、一緒に暮らして夫婦になり、子どもが産まれて家族になると、当然少しずつ変化していきます。

今まで知らなかったことを知ったり、見えていなかったことが見えたり、気付かなかったことに気付いたり。

小さな疑問を持ったり、不思議に感じたり、時には怒りがこみ上げたり。


二人で共働きをしている頃は、会える時間も貴重だったし、あまりケンカをした記憶もありません。

その後子どもができて、互いの意見が合わないことも出てきたけれど、その都度すり合わせてきました。

育休を取得して育児に専念している五年間も、小さいあれこれはありながらも、互いに協力してきました。

仕事復帰してからは、もう目の回る忙しさだったので、生活をするパートナーのように日々こなしてきました。

その後、渡米して、家族が団結をしなければ生きていけない環境で、生活を立てるのに全員が必死。

そして、コロナ以降、夫は在宅が増え、今が一番、一緒にいる時間が長いです。


当然、一緒にいる時間が増えると、互いに目につくところも増えてきます。

結婚式と二次会の間に、ホテルまで美容師さんに来てもらい、人生初めて髪を染める夫。

全部全部違う私たち

思ってることは、全部言葉に出して伝えたい私と、片言隻句を目指している夫。

喜怒哀楽が激しくて、思った瞬間言葉に出して行動する私と、冷静沈着で、考えて考えて考えた後に動く夫。

何でもすぐにやる私と、全てを順序だてて優先順位を考えて時間を掛けて取り組む夫。

疑問が湧けば、すぐに人に聞いて解決したい私と、できるだけ自分で考えて調べて解決したい夫。

誰とでもワーワー話して盛り上がり、十六方美人な私と、本当に気心知れた人とだけ話したい夫。

車に乗った瞬間0コンマ何秒で出発したい私と、行先をナビに入れて、あらゆる確認をしてから出発する夫。


苦手なことも違います。

私は、機械系で分からないことがあれば調べる努力もせず、すぐに夫任せ。電池さえ替えません。

「ここ開けて合う電池を入れ替えるだけなんだけど。」と言われますが、分かっているけれどやらない。


夫は、子どもを友達に預ける時、お迎え時間を相手に聞きたくないし、できるだけ会話したくない。

「何時に来たらいいか聞くだけなんだけど。」と私が言っても、「メールで聞いて。」と言われます。


本当に全部、何から何まで、得意なことも苦手なことも違うんです。

アメリカ人の夫婦から学ぶ夫婦像

渡米して間もなく、私が猛烈に夫に望んだことがありました。

「アメリカ人男性は、本当にレディファーストで、愛情豊かで人前でも変わらず表現する。

妻にアイラブユーと言い、抱きしめ、ハニーとハートマークを付けて話し、目を見つめて手を取って話す。

私もそうしてもらいたい!!もっと愛情表現してほしい!!」と。


そこで、夫はこう答えました。

「こんなにDIYしているのに。」と。


私は、一生この人とは分かり合えないと思い、無言になりました。

夫の愛情表現は、家族のために働き、お金を稼ぎ、家族がより良い生活をするために日々努力すること。

私の愛情表現は、目を見て話し、言葉で愛を伝え、抱きしめ、触れ合うこと。

これに気付くまで、実に結婚してから10年以上が経っていました。

新婚旅行のモルディヴ。夫婦二人でまた訪れたい場所。二人でたくさん美しいものを見て、手を繋いで歩きたい。

違うということを知る

生活の中でも、疑問に感じることは山のようにあります。


些細なことですが、うちの実家では、母が料理をし続け、みんながそれぞれに食べ進めていくことを望みます。

温かいうちに食べてほしいし、みんながワイワイ楽しそうにやっていてくれることが嬉しいから。


夫の実家では、お母さんも一度手を止めて、食卓に座り、全員で「いただきます」を言ってから始まります。

作ってくれている相手に直接感謝を伝え、全員が揃うまで待つことが相手を思いやる気持ちの表れだから。


仕事も家事も子どものあれこれをやり終えた夜、私にとっては、やっとゆっくりできる瞬間。

アルコール片手に、夫と向き合い、ようやく互いに一日のことを報告しあったり、色々話ができる時間。

だけど、夫は、ずっとケイタイを見たまま。

「どうだった?」と聞いても、ケイタイに目を向けたまま、「いつもと同じやな。」と。

思春期の息子に、「学校どうだった?」と質問して、「普通。」と言われるのと、同じレベルの回答です。

ずっと寂しかったけれど、もしかして、夫にとっては、家族のために夜も仕事をしている愛情の一つなのか?


いい悪いではなくて、自分が思ういい形と、相手が思ういい形は違うということを、真に理解すること。

私たちは、何度も話し合い、時にあきらめ、妥協し、言い合ってもきました。


私にとっては、触れいあいがなくなれば、それは夫婦が終わる時だし、

夫にとっては、私が感情的に矢継ぎ早にあれこれ言うことが、本当に耐えられない。


私は、夫との関係が満たされていたら、自分の人生全てがバラ色で幸せいっぱいになれるし、

夫との関係がうまくいっていなければ、もう何もかもがダメになります。

それだけ、私の中で、夫の占める割合は、とってもとっても大きいのです。

私を、世界で一番の幸せ者にできる、唯一の人。(その逆も然り。)

本心で向き合う

互いに、本心で向き合う努力をし続けること。

もちろん、一時的に話したくないことも、向き合えないこともあるでしょう。

だけど、向き合う努力を止めることは、そのまま二人の関係が終わることに繋がると思います。


言葉にして伝え合わないと、何も伝わらない。

「これくらい分かるだろ!」と思うことも、実は何も伝わっていないことって、パートナー間でよくあること。

相手は違う人間であり、違う価値観をもっている人であり、違う人生を歩んできた人です。


時間と労力を割いて、本心で向き合い続けて、何度も何度も話して理解し合って、その先に夫婦があるのです。


どこかで見た素敵な言葉。

「夫婦を続けることほど難しいことはない。

 続けられることほど尊いことはない。

 理解と、歩み寄りと、すり合わせのたまもの。」

互いに一番に思い続ける

珍しがられますが、私は、一番大切な人は、子どもではなく夫です。

一番に夫と話したいし、夫に聞いてほしいし、夫と時間を過ごしたいし、夫と触れ合っていたい。

いつでも夫を求めているし、子どもを通り越して、夫に話しかけてしまうこともしばしば。

(子どもも大人の話ができる年齢になってきているので、これは改善していかないといけないけれど。)


子どもとは、よほどのことがない限り、縁が切れることはないと思いますが、夫婦はそうではありません。

ふとしたきっかけで、他人になることができてしまうんです。


その一方で、私は、ずっと夫と夫婦でいると決めている訳ではありません。

子どものためだけに、望んでいない関係を続けるつもりはないんです。

毎月「おめでとう」と言い合う小さな記念日と、一年に一度の結婚記念日。

その日をどんな気持ちで迎えられるかが、また来月も、来年も、一緒にいたいかどうかを感じる日。

この小さなストーンを置くことで、その日を愛をもって迎えられるように、努力しています。

結婚13年目の私たち。15年目も20年目も、こうして一番そばで笑い合っていたいし、重くなっていく私を支え続けてほしい。

最後は夫婦

やがて巣立つ子ども達。その後、私たちは、また夫婦二人の形に戻ります。

その時に、お互い思いやりをもって、理解しようとする気持ちを持ち続け、愛し合っていられるか。

私たちは、誰しも不完全な人間。

相手の足りないところを、自分が補い、自分が足りないところを、相手に支えてもらう。


できるだけ互いにいい関係でいられるために、うちでやっている(やろうとしている)ことは、これら。

  • 相手に感謝し、言葉で伝える
  • 人前で、相手を褒める
  • してくれないことより、してくれることに目を向ける
  • 互いに尊重し合い、相手を知ろうと努力する
  • 子どもの前で、相手を悪く言わない
  • 「夫婦があってこその家族」と想い続ける

私は、子どもの前であっても、上っ面の仲良しの夫婦だけを演じたいくはない。

一日一日、夫婦であり続ける努力をしていることを、子どもに見ていてほしい。

夫婦が、時にぶつかりながら、もがきながらも、それでも向き合う努力を続けていることを知ってほしい。

これが、子ども自身が、これから誰かと真剣に向き合う時の、一番の根っこになるはず。


そして、もし違う将来を選択することがあれば、その時はその時で、また踏ん張っていく姿を見てもらいたい。

夫婦がどんな形であれ、子どもはずっと親を見ているし、その姿を見て多くのことを学んでいくのだと信じています。

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