「自分の人生を生きる」って、なんだかとんでもなく壮大なテーマのようですが、これ、小さいうちから積み重ねていくことであり、とっても大事なことだと思うのです。他人のためでもなく、他人に判断されるものでもなく、自分で創りたいように、進みたいように、選びながら形作れるものなのです。小さいうちにこそ、「自分の人生を生きる」練習を繰り返し、一歩を踏み出そう。
「選んでいいよ」と言いながら、最終決定は親?
この話を聞いた時、「自分で選んで決めていく」大切さを改めて感じました。
教員時代、様々な子どもに対応するため、カウンセリング手法を学んでいました。
大阪大学のカウンセリング室を運営されている先生から、直々聞いた、あるクライアントのお話です。
両親それぞれ自立されている家庭に育ち、経済的にも恵まれ、何不自由なく育ったように見えたご家庭。
そこで育った子どもが、大学生になり、親の手が離れ始めた瞬間、毎日過ごす中で、不安に駆られるようになりました。
何をするにも、これでいいのか、間違ってはいないか、常に不安が伴い、息苦しく、やがて前に進めなくなります。
話を聞いていくうちに、両親からの子育てが、大きな原因の一つだったと分かりました。
欲しいものがある度、「好きなものを選んでいい。」と言われるけれど、実際手にすると、「いや、こっちのほうがいいんじゃない?」と言われ、最後の判断は、結局親が下しました。
それは、確かに利便性が良かったり、経験値が高い大人だからこそできたアドバイスだったかもしれないし、流行りのものだったかもしれません。
だけど、「好きなものを選んでもいい」と言われたにも関わらず、「それよりこれだ。」と、訂正され続けてきたのです。
それを繰り返して成長することで、いざ自分で自分の道を歩き始めた途端、これでいいのか不安になり、周りからの判断や意見なしに、自分で物事を判断できなくなっていました。
親は、よかれと思ってやったことだし、命令もせず、アドバイスのつもりだったのかもしれません。
だけど、自分で判断したことを認めなかった繰り返しが、この結果を招いたのでした。
洋服や靴の自己流アレンジ
自慢ではないですが、我が家では、ほとんど子どもに服を買い与えたことがありません。
基本はおさがりで、それを自分なりにアレンジしたりして、楽しんでいます。
ある時は、お友達と色を塗ったり、切ったり、模様を付けたり。
究極は、一緒にスカートを作ったこともありました。
(ろくに手芸もできない私の、手縫いでひどい出来だったので、着用数分後に糸がほつれて終わりましたが。)
よく、バスタオルや色々な洋服を好きにアレンジしてファッションショーも楽しんでいます。
面白い出来事がありました。
山歩きに行った後、私のものと一緒に、娘の靴を洗ってあげました。(たぶん人生初)
私が洗う係で、娘がしぼって乾かす係となり、きれいに洗えて互いに満足。
娘は、新聞を入れ替えたり、太陽に当てたりと、少しずつ乾いてきた時、色がおかしいことに気づきます。
「何これ?!」と、大のお気に入りだった、買ったばかりの黒い靴が、脱色されているのです。
確認すると、外に置いていたバケツに、漂白剤が入っていたそうで、それを知らず、私が洗ってしまったとのこと。(何て言ったって、私が娘の靴を洗うなんて、人生初。)
一瞬落ち込んでいた娘が、ふと、「自分で色塗ろうかな。」と。
私も夫も、盛り上げるのに必死。「いいやんいいやん、やってみたら?」と。
結果、黒から色々な色のデザインが始まり、世界で一つの、娘オリジナルの靴が出来上がりました。
これは、アメリカだから育った感覚かもしれませんが、人と違う服を認めてもらい、褒めてもらえる。
そんな環境も、娘の自分なりのアレンジ力を育てたかもしれません。
年に一度ほど、一時帰国をしていますが、日本の「みんな同じ」に見える服や髪型に、毎度驚きます。
「OOが着ていたから。流行っているから。」を基準にする服選びでなく、自分のお気に入りを、自分で生み出す。
他人に判断してもらわず、他人の意見で決めるのではなく、自分で決めたもので、毎日のハッピーを作る。
身に着けるものは、毎日のことです。
大人にとって違和感がある姿でも、本人が選んだものを尊重することが、一番大切だと思います。
自分で決める毎日の過ごし方
子どもに対して、毎日の過ごし方について大切にしてきたことがあります。
それは、「自分で決め、自分でやりきること。」
毎日学校に行って、宿題や習い事があって、楽器の練習や課題もたくさんある彼ら。
何を、いつ、どうやって進めていくかを、小さいうちから、繰り返し自分で決めさせてきました。
今日は、遊びたいから、〇時までにこれを終わらせていく。
今日は、特別な日だから、〇〇はしない。
今日は、夜ゆっくりしたいから、〇〇を終えてから、△△へ行く。
宿題を終えてから遊ぶと決めたなら、最後までやり切ってから遊びに行かせる。
家族のお誕生日や、毎週日曜は、何もしない自由な一日にする。
いきなりこれを達成できたわけではなく、何年も、それこそ幼稚園から小学校の期間全てを使って、癖づけてきました。
「自分の言葉に責任を持つ」って、大人になっても難しいもの。
小さいことから一つずつ、自分で決めたことを、自分で守っていく練習を繰り返していくのです。
ある日、娘がこんな提案をしてきたことがあります。
「朝はのんびりして、学校から帰ってからすぐに遊んで、夜に全部する。」と。
朝は、ソファーに座ってリラックス、帰宅後、疲れ果てるまで遊んで、さぁ、そこからが勝負です。
宿題やピアノ、歌の練習、体操の課題や、家の役割である、洗い物。
疲れ果ててパワーもない、寝る時間もせまっている、だけど、やらないといけない。
最後は、泣きながら机に向かっていました。(もちろん、最後までやらせました。)
自由には、責任が伴うということを、身をもって実感した娘。
私からのアドバイスは、「朝が勝負!」なのですが、翌朝、起きてすぐに机に向かっていました。
親から命令されて時間管理されることのほうが、楽かもしれません。
だけれど、何度も何度も失敗しながら、自分で感じて、気づいて、自分で決めていくことが大切だと思うのです。
双子の息子は、もう一日の過ごし方について私があれこれ言う時期は過ぎ、すべて自分で管理しています。
それでも、朝まずまっすぐ机に向かって、30分ほど勉強する習慣は続いているようです。
自分で予定を決める
一日の時間管理ができるようになってきたら、もう少し大きな、スケジュールを管理する練習をします。
娘もまだまだ練習中の、その一番簡単な方法は、カレンダーに予定を自分で書かせること。
月の後半になれば、翌月の(子どもに関する)予定を、すべて手書きで書かせていくのです。
お友達が遊びに来たり、習い事や家族のお出かけ、病院や学校のあれこれも全て一目で見れるようにします。
そうすることで、「OOに行きたい!△△がしたい!」となった時、この日とこの日ならいけるかなーと判断できるようになっていきます。
親が全て予定を決めて、子どもを連れていく時代から、少しずつ、子どもが考えて、子どもに決めさせるようにしていくのです。
「どうしたい?」と一度子どもに聞き、「この日までは忙しいから、この日以降、ここあたりでできるかな。」と、可視化させるのです。
息子の習い事のロボット教室は、プライベートレッスンなので、毎度先生と次回のスケジュールを決めるスタイルです。
これも、子どもに必ず考えさせ、「〇日△時でお願い。」という言葉を引き出すようにしています。
時に、「その日は〇〇があるけれど、それで大丈夫?」と確認することもありますが、まずは、自分の予定は自分で決めさせる。
この繰り返しで、自分の決めたことで、自分の毎日を作っていくのだと感じてもらえるのです。
やるもやらないも、決めるのは自分
習い事、どうやって選んでいますか?
うちは、日本では、フルタイム共働きだったので、最重要事項は、長く子どもを預かってもらえることでした。
子どもがやりたいかどうかは、はっきり言って、二の次。
「とにかく朝、保育園や学校に行って、できるだけ遅く帰宅してくれる」スケジュールを組んでいました。
そして、アメリカでは一転、何がしたいのか、どうなりたいのかの決定権を、子どもに任せています。
アメリカでは、音楽教室を立ち上げ、毎日たくさんの生徒さんを見ていますが、子どものやる気は、一目瞭然です。
「やらされている子は伸びない」し、「やりたくてやっている子は、よく伸びる」。
本当に、教える立場からすると、はっきりと見てとれます。
そして、同じ子でも、あまり練習せず来た日は、なんとなく足取りが重いし、ピアノに向かうのも遅い。
練習して早く聞いてほしい子は、パッと椅子に座り、楽譜を開き、手を準備します。
時には気持ちが乗らないことは、誰しもあることだと思います。
ただ、根本的に、やりたいのかやりたくないのかを確認することは、大切なことです。
好きだけど、先生と合わなければ、別のスクールを探すこともできます。
集団でのレッスンが合わなければ、個別のものを探してみるのもひとつでしょう。
好きだけれど、時間が長すぎるのか、曜日が希望と合わないのか、原因がどこにあるのか。
本人に考えさせ、言葉にさせ、どうしたいのかを決めさせる。
そして、親の条件として、「一度始めるなら、OOくらいの期間は続けてみよう。」と挙げるのも」いいでしょう。
学校は、みんなが通っているから通うもの?
習い事だけでなく、学校も毎日の宿題も、当たり前と思えることでさえ、すべては自分の選択なのです。
双子の一人は、かなりの学校嫌い。
勉強もできるし、友達もいるし、何が嫌って、居心地のいい家から出て、大好きな親と離れることが嫌だそう。
小学生の時は、学校に行きたくないと、よく泣いていました。
年齢によって、対処も様々だし、本当につらい時には、だまって休ませることも大切。
少し大きくなったころ、私たち親は、「やめてもいいよ。で、何をして稼いで生活していく?」と聞きました。
そんな子は、世の中にたくさんいることを伝え、アメリカではホームスクールという方法もあります。
まずは自分で調べ、その後、必要なら手助けすることを伝えました。
すると、そこまでの情熱はなかったのか、やがてそこまでの嫌々は言わなくなりました。
子どもが、共感を望んでいるのか、対処を求めているのか、ただグチグチ言いたいだけなのか、そこは、親が判断するべきところですが、「やめてはいけない。行かなくてはいけない。」という判断は違います。
子どもが自分の人生を歩める練習を、これからもたくさんしてみよう。