物を大切にする心、ここから、生き物や自然への愛が生まれると思っています。
使い捨て社会が広がっている日本と、物をどこまでも大切にするアメリカ。
我が家でやっている、物を大切にする心を育む子育てと、それにより子どもが先生から心配されることになった話や、教員時代に印象に残った話をお伝えしようと思います。
使える物はとことん使い切る
私は、環境オタクの母の元で育ち、この歳では珍しく「もったいない」精神をもって育ちました。
物は極力買わない、使える物は最後まで役目を全うしてもらってから処分する、地球を大切に。
気づけば、自分の子どもに対しても同じように教育していました。
子どもの服は、今まで片手で数えるくらいしか買ったことがなく、靴下までお下がりのオンパレード。
子どもが小さいうちは、すぐに洋服がサイズアウトするので、使えるものは当然お下がりで回し、
汚れが目立つものは、母から結婚時に贈られた断ち切りバサミを使って、細かく切るのがお決まり。
離乳食を食べさせたら、顔を拭いて、テーブルや床を拭いて、そのまま毎回ゴミに捨てていました。
洗って乾かす手間が掛からないので、友達も感激して真似してくれるように。
昔、友達が、購入したダスターを使って、毎度きれいな台ふきを使っていたのに驚いた記憶があります。
決して、いい悪いで判断したいのではありません。
買うよりもアイデアを出して生活することは、同時に子どもの頭や価値観も育てると思います。
今でも、うちの台ふきは、ずっと昔から、洋服の切れ端です。

シーツが古くなったら、最後は台ふきや雑巾、娘のプロジェクトに最後まで活躍。
保育園の忘れ物の傘の命を蘇らせる
子どもが通っていた保育園の忘れ物の傘のコーナーに、ある日こんな張り紙が貼ってありました。
「O月O日までに引き取られない物は処分します。」
私は驚いて、園長先生にお願いに行きました。
「子どもは、すぐに傘を壊します。持ち主が現れないなら、欲しい人にあげるのはどうでしょう。
私も含め、皆さん助かると思います。」
すぐに園長先生は了承してくださり、うちも含め、何人もの方が取っていき、あっという間になくなりました。
「もったいない」と思う基準は、人それぞれ。
ですが、「もったいない」と心の中で思うだけでなく、そう感じたら、きちんと相手に伝えることで、
救われる命があるかもしれません。
日本人は、相手がどう思うかや、こんなことを言って自分が変に思われるかもーという意識が働いてしまいます。
自分の基準で、正しく相手に思うことを伝えることは、何も悪いことでありません。
そんな考え方もあるのだと、新しい気づきになることも多いはずです。

渡米後、日本のような塗り絵がほしくなった娘。夫が、娘の選ぶ絵を集めて、特製の塗り絵本を作ってくれました。
担任の先生から、思わず懇談の時に出た言葉
小学生の頃、息子のこだわりで、ひと夏の間、同じTシャツを着続けたことがありました。
譲ってもらったもので、元々ヨレヨレのTシャツですが、お風呂に入って洗濯をして、翌日また着るのです。
色々なところが擦り切れて、破れ始めましたが、本人の強いこだわりで、そのまま着続けました。
懇談の時に、担任の先生から、「Oくん、Tシャツ破れていますよね。」と言われたのです。
さすがに一瞬「わ!きた!」と思いましたが、先生も子どもや私をしっかり理解した上で発言してくれたので、
こだわりだと理解してくれ、「他の物じゃダメなんですよねー。」と笑って終わりました。
また、同じ頃、息子の靴の指部分がペラペラと開いているのを見つけました。
「何これー!さすがにもう新しいのにしよう!」と言いましたが、持ち上げてみてびっくり。
なんと、底に指一本通る穴が開いているではないですか!
思わず主人と爆笑して、「雨も土も石も入ってくるやろ!」と指を入れてくるくる回したのですが、
息子は泣いてしまい、「大事にしてんねんもん。」と一言。
(あ、やっちゃった。)と反省し、足を保護する必要性を話し、新しい靴に替えてくれてほっとしました。
気付けば、息子にもしっかりとその精神が受け継がれているのだなぁと気付いた瞬間でした。

長男は、新しいものを好んで身に付け、次男は、何でも最後まで使い切り、娘は、大好きな物を見かけを気にせず使い続けるタイプ。
日本の使い捨て文化とアメリカの物を捨てない文化
「Buy&Nothing」って知っていますか?
アメリカで始まった、「Buy less, share more」の標語で広まっているこの取り組み、日本にも広がっています。
自分が使わなくなったものを、ゴミに捨てず、誰かに無料でもらってもらうというもの。
大きなもので言うと、ソファーやベッド、机やテレビから、小さいもので言うと、タッパの蓋(だけ)やペン。
使った靴下や下着、汚れた靴まで、本当に何でもあります。
もしデザインなんかにこだわりがなければ、家の身の回りのものは、ほぼ全てそれで賄えるくらい。
今ちょっと調べてみたら、私の登録している地域で2600人が登録し、今日一日で20postが掲載されていました。
日本からコンテナに積んで、船便でほぼ全ての物を輸送してきましたが、いざ家に入れてみると、なんと小さい。
大きな家(立派という訳ではなく、国土の分だけ面積は広いです。)には、小人用の家具に見えてしまう。
アメリカで生活を立ち上げる時も、とってもお世話になりました。
潔癖気味の日本でどこまで流行るかは分かりませんが、日本の消費文明には、色々不安に思うことだらけです。
OO円均一のようなところで気軽に大量に買い、捨てることに抵抗がない人が増えているように思います。
日本伝統の物作りを応援したり支援することを辞めてしまえば、日本の技術はやがて消えていきます。
価値ある物や食料に、貴重なお金を回していけば、やがて迫りくる食料危機も、少しは変わるのではないかと思うのです。

今撮ってきた娘の部屋。(散らかりすぎ。)ここにある全ての物が、貰い物か作った物。買ったものは、一つもないのでは。
我が家のちょっとした自慢の一品
我が家、炊飯器がありません。
勤務校で、家庭科室の改修がされ、もう長らく使っていなかったお釜が大量に処分されることになったのです。
「もったいない!もらっていいですか?」と聞き、えっちらおっちら、両手に二個抱えて帰りました。
(ちなみに、JR,地下鉄を利用し、片道1時間半、大阪のど真ん中の大都会の中の話です。)
それをきっかけに、炊飯器を処分し、お釜生活が始まったのです。
毎日の水加減は難しいし、毎日おこげの量も様々だし、だけどそういうところも全て気に入っています。
それをさらに、アメリカにも持ち込み、日々愛用しているので、家に来た人は皆びっくり。
子どもも、友達に自慢していて、微笑ましい。
ちなみに、コップやお茶碗は、叔父が経営している丹波焼の体験で、子どもが作ったものを愛用しています。

我が家自慢のお釜。他にも、古い和箪笥や桐箱、掛け軸など、アメリカの家で活躍中。(全て譲り受けた物。)
家庭教育が垣間見えた子どもの一言
附属高校で、吹奏楽部を担当していた時の話です。
古い楽器がずっと放置されていたものを、修理できないかと業者さんに確認したことがありました。
ですが、修理するよりも、中古を探したほうが安いとの判断で、廃棄することになったのです。
それを、担当の生徒数人を呼んで伝えたところ、全員がこう言ったのです。
「あー、寂しいなぁ、残念やなぁ、ありがとうって言わなな。」と。
もしそのセリフを、一人が言って、残りが反応薄く聞いているだけでは、何とも思わなかったかもしれません。
全員が、同じように神妙な面持ちで、同時に同じようなセリフを言ったのです。
私は、家庭教育が見えたような気がしました。
医者や自営、教員、大きな会社で勤めてる保護者が多い学校で、その子どもたちが、こういう感覚をもっている。
何だかすごく嬉しかったし、だからここにいるのだと思った瞬間でもありました。
親の感覚や、日常のふとした行動や発言は、確実に子どもに影響するし、それが家庭教育。
私も多くの子どもを見てきたからこそ、子どもを見れば、その子の親の想いや家庭教育が見えます。
『子育ては自分育て』
とはよく言ったもので、一人の人間を育てる時に、ことあるごとに、自分のあり方を見つめ直すことができます。
子どもにどういうふうに育ってもらいたいのか。
その前に、まずは自分がどう想い、言葉を発し、行動しているのかが大切だと思うのです。
物、生き物、自然、人間ー互いに関わり合い、思いやることで、生きていけます。