できるだけ家事に時間を掛けたくない。
仕事も子育ても、あれやこれやと忙しい毎日。子どもと関わりながら、洗濯ひとつにしても、できるだけ楽をしたい!
そんな我が家の、洗濯事情です。
私、家事の中で、洗い物や洗面、お風呂掃除やらの水回りが特に苦手です。
皮膚が弱いので、水回りの仕事をする度、手が荒れていくのが辛いというのも大きな理由。
それに比べて、洗濯って大好き。
ぴかぴかふわんと仕上がって、元にある場所にきれいに戻っていく過程が快感です。
だけど、忙しい中で時間は掛けたくないし、子どもも一緒に巻き込んで楽しく家事をしていきたい。

ある日突然、洗い物スイッチが入った娘。このタイミングが逃すなかれ。ここから、ルーティーンにもっていくべし。
皆がそれぞれできることを
自分のことが、ある程度自分でできるようになると、家族の一員としての役割を担ってもらいます。
これが結果として、社会の一員、そして地球の一員という想いをもってもらえると信じているから。
家族の中で、「手伝う」という感覚は、私はあまり好きではありません。
手伝うという言葉の中には、何か、元々は自分の仕事ではないーというイメージが浮かんでしまう。
そうではなくて、みんながすすんで自分のできることをやっていけば、家族は常に協力し合える。
もちろん感謝はしながら、どんな年齢でも、それぞれにできることをやって助け合えるはず。
子どもが少しずつ大きくなってきて、私は「お手伝いして」という言葉はあまり使いませんでした。
「もうこれができるよね。これを任せてもいいかな?」と、家族の一員として任せていくのです。
お風呂洗い、台ふき、庭掃除、料理、ゴミ捨てなどなど。
どの仕事も、三人の子どもに、一度は体験してもらいました。
表を作って、週ごとに交代していった時代もあるし、しばらくは固定で続けてもらった時も。
その上で、ある程度の年齢になってくると、それぞれの得意分野や、向き不向きが見えてくるものです。

大切なのは、楽しみながらのお手伝いからスタート。そこから、責任を与え、役割にシフトしていきます。
子どもの性質を見極めて、それぞれに責任を与える
洗濯のお片付けは、主に娘、それに加えて、時には息子にも手伝ってもらうこともあります。
洗濯乾燥は、ボタン一つで済むので、私がやってしまいます。
五人のそれぞれの洋服、タオル関係、寝具などに分け、畳みつつ、娘が所定の場所に直しに行きます。
いつも機嫌よくやってくれるなんてことはあり得ず、気が乗らない時には、
「10,9,8・・・」と数えて、何秒で戻ってこれるかのゲームをしたり、
何歩で行って戻ってこれるかを数えてみたり。
兄妹で競争することもあります。
同じ場所にあるものは、まとめて運んだほうが楽だったり、あまり持ちすぎると落としたり。
それぞれ工夫しながら、少しずつその仕事の役割を学んでいってくれています。
最近は、畳むことにも興味を示し、少しずつ洗濯担当をシフトできる日も近くなってきているようで楽しみ。

まだ小さくても、二人で力を合わせれば、大きな力!いつも助けてくれて大助かり。
仕事をしてくれる人へのマナーを
社会の一員、家族の一員として、生活の中で、その仕事をやってくれる人へのマナーは、家族であっても大切。
例えば洗濯で言うと、汚れたものは必ず洗濯籠や洗濯機の中に自分で入れる。
私が、そこらに置きっぱなしにされている洗濯物を拾い歩くことは絶対にしません。
洋服とシャツを一緒に脱いだり、ズボンとパンツを一緒に脱いだりしたら、必ず本人を呼んで、確認します。
(いずれも娘なんですが。)
何度も言われていることなので、見せるだけど、「ごめーん。」と自分で直しています。
裏返しになっていたり、靴下が固まりになっていて、乾いていなくても、濡れたまま返却します。
自分の不注意で、何かを特別汚したら、その下洗いは、それぞれ自分たちでやってもらいます。
食料品だったりペンキや泥だったり、自分で汚したものは、最低限自分で処理する。
担当してくれる人に、余計な手間を掛けさせないように、相手を想いながら行動する。
こういう精神が、社会へ出ても、それぞれの家庭を持つことになっても、大切だと信じています。
ごくたまに、洗濯したはずのOOがなくなったーということがあると、
「OOがないんだけど知らない?見つけたら教えて。」と、お願いしてくれます。
まさか、「OO洗濯したのに、戻ってきてない!」なんて言い方をされしたら、うちでは破門。

大物のカーペットだって、みんなで洗えば楽しい時間!汚したら綺麗にするということを生活の中で学ぶチャンス。
こうあるべきーというこだわりを捨てる
渡米する時、当然のように洗濯竿や洗濯物ハンガーを持ってきました。
お日様の力で乾燥させることが、殺菌にもなって、一番心地よいと信じていたから。
だけど、移住先は、時期によって雨も多い地域。
アメリカでどの家庭にも当たり前に普及している乾燥機を使ってみると、気づけば虜に。
洗濯に関わる時間と手間が、大幅に削減されました。
子どもがどれだけ汚して着替えようが、何とも思いません。(下洗いは各自してくれるしね。)
ボタンを押してから一時間半ほどで、全ての工程が済み、クローゼットに戻せるのは、素晴らしい!
日本では、毎晩子どもたちを寝かしつけた後、そこからが家事時間の始まりでした。
夫と一緒に、濡れた洗濯物を、パンパン広げる係と物干し竿に掛けていく作業を二人で夜な夜なやるのです。
それが今では、朝に取り込む時間も手間もかからず、太陽の光にこだわっていた自分が、不思議なくらい。
(だけど、もし日本に帰国することがあれば、また太陽の光に魅かれて干し始めるかも?)
乾燥機は生地を傷めることは確かなので、デリケート衣類は基本不向きです。
なので、私の日常の選ぶ服も変わり、着やすい、傷みにくい、乾燥機にかけられる物ばかりになりました。
日本で音楽教員をしていた頃は、毎日それなりの恰好をして、ハイヒールを履いて、髪を巻いて出勤していました。
それはそれで、スイッチが入り、自分で自分の気持ちを奮い立たせることに役立っていました。
だけど、今では、身なりを整える時間はほぼゼロになっています。
選ぶ服はさっと着れるワンピースばかり、髪は一つにお団子にしておしまい。そして年中サンダル生活。
だけど、私はいつも自分がいいと思える私スタイルだし、昔の自分も、今の自分も、どちらも大好き。

今年もカーペットを洗うぞ!と声掛けすると、最高のお楽しみ時間の始まり!子どもにとっては全てが学びで遊び。
全ての工程は、短縮できる
私は、畳んで引き出しに戻す作業が大好きなので、畳むこともきれいに並べることも楽しんでできます。
だけど、もしそれらが苦に感じるなら、畳まず山にして置いておくのもひとつ。
うちの家でも、かぼちゃ脱ぎ
(知っていますか?ズボンやらを脱いで、くしゃくしゃのまま、床の上に置いておく方法です。)
をして、また翌日履く人もいます。
その時間を短縮できるらしく、まぁ確かに一理あるなーと。
大事なことは、「きれいに畳んで、引き出しに並べないといけない。」と思わないこと。
その時間を取られてイライラするくらいなら、山の中から、また次の服を選べばいいのです。
うちの子どもたちは、ほぼ二種類の服を永遠にルーティーンしているだけなので、洗濯前に置いておいた時期もあります。
たかが洗濯、されど洗濯。
仕事や諸々の用事、何より子どもとの時間を楽しく過ごすために、家事の中にもハッピーを見つけて。
みんながそれぞれ、我が家流を発見して、家族みんなで協力し合っていけるといいですね。