About the Author

元国立大学附属中高教員。心を育て、人と人をつなぐ教育プログラムを開発・実践。
2019年に渡米し、アメリカでNozomi Music Schoolを開校。
頭も体も心も、子どものもつ可能性を最大限に高めたい!!

社会の一員であるという感覚、とても大切なことだと思います。

誰かが様々なところで、人のために時間を使い、誰かのために働いてくれているから、こうして私たちが日々生活できています。

それを、小さいうちから、見えないところに感謝をもって生活できるかどうか。

全ての基礎は、家庭教育と子育てです。

中1の春に、投げかけていた質問

附属中高勤務時代、中1の40人クラスに、毎年投げかけていた質問がありました。

「お弁当が食べられるのは、誰のおかげ?」

まぁ、「お母さんが作り、お父さんが働いて稼いでくれているから。」という答えが、ワンツーで出ます。

私が伝えたいのは、その先。

その食材を育てている生産者、陳列してくれているスーパー、それを運んでいる運送者、ライフラインを整えてくれている道路交通、電気ガス水道・・・。

挙げればキリがないけれど、40人の生徒が全員違う答えをひねり出そうとしてくれていました。


クラブや行事で、外部に行く時も同じです。

私の場合は、演奏ホールに行く機会が多かったですが、そこで日々メンテナンスしてくれている人、掃除をしてくれている人がいるから、こうして利用できるのだと話していました。

附属で勤めていると、そういった感覚は、特別すごいことではなく、当たり前と捉えられることも多かったです。

家庭教育がしっかりされているのだなぁと、改めて感じるところでもありました。

初めての、双子の幼稚園お弁当。おばあちゃんが作ってくれたアップリケ付きのお弁当袋、10年経っても大切にしています。

社会ルールを守る

私の義兄は、大阪で人気のある、受験が必要な小学校の校長でした。

そして、その妻でもある私の姉が、その小学校受験の日、近くで外食をしていた時のことです。

その小学校受験を終えた親子が、姉の隣のテーブルに座り、親子で話し始めたそうです。

受験への労いの話の後、この親子が、車で来ていることが分かる会話だったとのこと。

その受験要綱には、交通機関を使って来校するように書かれていました。

もちろん、名前を調べるわけでもないし、バレなければ、それが受験に影響することもありません。

ただ一言、「落ちるやろうな。」と言っていました。


もちろん、結果どうなったかなんて知りません。

ただ、受かっても落ちても、受験の日に子どもが学んだことは、「バレなければいい。」ということです。

恐らく、(多くの子どもが)塾に行って長らく頑張ってきたであろうに、「受かればいい」とは、寂しい話です。

双子育児は、周りの人を巻き込んで

有難いことに、初めての出産は双子でした。

里帰りもせず、当然親に助けてもらう日もありましたが、基本は夫と二人で協力して育ててきました。

しばらく車なしで生活していたので、お出掛けする時には、主に電車かバス。

なぜなら、双子ベビーカーはタクシーに入らないんです。涙。


バスの運転手さんが、本当にいつも親切にしてくださり、乗り降りを手伝ってくれていました。

いつものように、双子を乗せたまま、ベビーカーごとバスに乗せようとしたとき、悲劇は起きました。

何と、上から引き上げようとしてくれていたその瞬間、運転手さんがぎっくり腰になってしまったのです。

痛みのあまり、歩くこともままならないまま、運転席に戻り、痛みで声を上げながら、バスは出発しました。


もう私は、気が気でなく、平謝り。

すぐに夫に電話をして、とにかく謝罪とお礼と、降りる前に、医療費替わりの現金を渡そうと決めました。

それは受け取ってくださりませんでしたが、バスを降りてすぐ、私はバス会社に電話しました。

普段から、とても快く手伝ってくれていたこと、現金を受け取られなかったこと、とにかく感謝していること。

しばらく、勤務することも難しいかもしれないけれど、それは私の責任だということ。


そしてしばらく見かけなかった運転手さんに再び会えたとき、心底ほっとしたものです。

そして「電話掛けてくれたんやね、ありがとう。」と言って、笑顔を見せてくださいました。

友達とのランチの約束は、だいたい同じバスを利用するので、運転手さんとも顔なじみに。周りの方々の優しいこと!

ちょっとのトイレも人頼み

外での買い物も、一苦労。

「ちょっとあそこまで」も、双子ベビーカーだと、持ち上げることもできず、大回りするしかありません。

自分のトイレだって、パッと行けるわけではありません。

そこで、トイレのすぐ近くに立っておられた百貨店の店員さんに、一言。

「そこのトイレに行ってくるので、すみませんが見ていてください。」

とお願いして、2,3分見ていてもらっていたこともありました。


親やママ友、ご近所さんはもちろん、様々な人の手があって、子育てができているのです。

これらは、子どもが少し大きくなってから、何度も聞かせました。

自分が大きくなったのは、名前も知らない、会ったこともない、数えきれないほどの人の助けがあったから。

だから、自分も、名前も知らない、見えない人のために、自分ができることを、精一杯すること。

人は、誰しも一人では成長できず、互いに助け合って生活できているのだということに気付くこと。


何に対しても、まずは「ありがたいね。感謝だね。」と感じられること。

そこに関わってくれる人の想いを感じ取ることって、とてもとても大切なこと。

道行く人に、「かわいいー!」と何度言ってもらったか。まるで私は、スターのお付きだと思った時代もありました。

「迷惑になる」ことで恐れる必要はない

私がマンションに住んでいた頃、友達に突然、よくこんなメールを送っていました。

「醤油ちょっとちょうだいー!」「卵2個ちょうだいー!」などなど。

ちょっと頑張って、そのためにスーパーやコンビニに走れば、買えないことはないです。

だけれど、子どももいるし、色々面倒だし、今ほしいんです!(こういうことありますよね?)


そして、家にある、物々交換になるような何かを持って、走ってもらいに行っていました。

今でもはっきり覚えています。

物々交換用に、アルミホイルを持って行った時、「これ今ほしかった!なんで分かったん?」と言われました。

何か知らないけれど、何だかとっても幸せ。「やった!!」と。

こうすることで、今度は、その友人たちが、「OOあったらお願い!」と言ってきてくれます。

互いに、困った時に声を掛け合える関係を作るには、まずは自分からちょっと厚かましく。


今でも、日本に一時帰国をすると、滞在先はホテルですが、お友達のおうちによくお邪魔します。

ごはんに招いてくれるのですが、私が持参するのが、うちの家族の洗濯物。

「OO時に行くから、その時洗濯あけといて!そのまま干して、帰りに回収していくわ!」と事前に伝えます。

夫は、恥ずかしくないの?と呆れていますが、それも私流。

コインランドリーに行けばいいのですが、とにかく忙しい日本滞在。

そこまで持っていって、また改めて回収してーは、結構な手間だし、何より時間がもったいない。

お友達とおしゃべりして、ごはんを頂いて、その間に洗濯まで終わるなんて、なんて素敵なんでしょう。

私は人を家に招くのが大好き。大勢のお友達の集まりも、海外からのお友達も、みんなまとめていらっしゃーい!!

互いに助け合える関係性を

多くの日本人は、まじめできれい好き、マナーも世界的に見て素晴らしい国です。

そして、「きちんとする」「迷惑を掛けない」ことが最重要になってしまいることも多いです。

「迷惑になる」かもしれないと考えるあまり、本当に大切なことが見えなくなっては本末転倒。


人にお願いすることが迷惑に思われてしまうかも?と、一人で抱え込みすぎない。

何て思われるか心配だからーと、全部自分でやろうとしすぎない。


迷惑を掛けないことが大切なのではなく、互いに助け合える関係をつくることが大切なのです。

ちょっと厚かましいかな?と思っても、「自分だったら?」を常に逆の立場で考えてみる。

人は本来、頼られたら嬉しいものです。

自分が誰かの力になれれば、それはとっても嬉しいはず。


もちろん、相手の状況も様々なので、自分が感じること=相手が喜ぶことではないですが、

迷惑を掛けることを恐れるあまり、人と人の関係が希薄になることは残念。

核家族となり、近所づきあいがなくなってきている今だからこそ、自分から関係を作っていきたいものです。

バルコニーで、みんなでごはん。ござを敷いて、おやつを食べて、どんどん人が集まってきます。

社会の一員である意識をもつために

自分のことが自分でできるようになってきたら、家族を助けてくれるようになります。

「痛!」とどこかをぶつけたら、娘は、いつでも氷をもって駆けつけてくれます。

兄弟、親、家族のために。

子どもは、誰しも自分が誰かの力になれるよう、全力で動いてくれます。

それに感謝し、「ありがとう」から、やがて「おかげさまで」の心が生まれるのです。


そして、忘れてならないのが、夫婦でも同じ。

子どもが親にあれこれしてくれるのと同じように、夫婦でもそうありたいものです。

そういう姿を見て、子どもは、「助け合う」ということを、見て学びます。


まずは、家族の中で助け合い、お友達を助け、周りの人へ意識が広がっていきます。

親は、子どもの世話を一方的にしているようで、実は子どもからもらっているもののほうが、はるかに大きい。

子どもの存在自体が、私たちを生かせてくれているのです。


あなたがしてくれたから、助かった

あなたがこう言ってくれたから、幸せ

あなたの存在が、私を生かしてくれる


やってくれたことへの感謝はもちろん、あなたがいるから、私がいられるのです。

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